一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 001

 第1章 ロサンゼルス駐在生活スタート

映画好きの方は、この体験記015「第2章 4. やってきたぜ、ハリウッドだぜ!!」から是非お読みください!!その方が楽しいかも!!

※Vol.015がこのページ内に表示されていない場合は「月別アーカイブ」(携帯の方は下の「記事一覧」をご覧下さい)の「2020/5(17)」をクリックして頂くとVol.015がございます。そちらをクリックしてVol.16, Vol.017と順次お楽しみください。ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします!!

 0   まえがき  

  1.  さあ、海外への赴任だ!
  2.  ロサンゼルスにやってきた!
  3.  コリアンのジェイ先生
  4.  新しい住居 パーク・ラブレア
  5.  やったぜ、ビバリーコネクション!
  6.  日本人、日本用品、日本の情報
  7.  ロスの日本食レストラン 

まえがき

初めまして、あと数年で還暦を迎えるバツイチ男性です。今の若い世代の人に向けて伝えたいことがありブログを書くことにしました。

私はよく書店に行くのですが、自己啓発を促す本の題名に「一流の人は・・」「一流の条件」云々と題された本をよく目にします。その類の本は書店だけでなく今ではコンビニの書棚でもよく見かけます。

 ずば抜けた能力もなくこの歳まで生きてきた私としては、購入どころか立ち読みをする資格すらないように思える本の題名なので近づくのを躊躇してしまうのですが。歌手・野球選手・医師・ビジネスマン、料理人、政治家など世の中には「一流」という称号を有している方々が数多くいます。確かに本当に素晴らしい才能があって数々の功績を残していて誰からも羨望のまなざしで見られていて。天才的なタレントをもって生まれてきて羨ましいなぁと思うばかりです。一流といわれている人の中には努力の上に努力を重ねて、そのレベルにまで達している方々も数多くいらっしゃるのだとは思います。夢を語るという意味では彼らには資格があると自然に思うのですが、では「一流」の称号がない人間は夢を語ってはいけないのでしょうか?

 一流でない大人は子供達、学生達の指導者にはなれない、なってはいけないのでしょうか?

一流人にならないと夢を叶えたということにはならないのでしょうか?  決してそんなことはない筈です。

 今(2020年春)、貴重な時間が出来たので自分のこれまでの人生を振り返って体験談を書き記しておこうかと思います。こんな自分でも若い頃、抱いていた夢を叶えることが出来たわけだから、若い人たちにも果敢にその想い(夢)に挑戦してほしい!

 中学時代に英語が好きになり、高校時代に映画が好きになりました。特にスケールの大きなアメリカ映画の虜になって、いつの日か大人になったらアメリカ、中でもハリウッドのあるロサンゼルスに一度でいいから行ってみたい、そんな漠然とした『想い(夢)』を抱くようになりました。

母子家庭で育った関係から経済的には恵まれておらず、親に頼んで留学など出来得る可能性など全くのゼロ%。今にして思えば大学に行くことが出来ただけでも恵まれていました。奨学金とアルバイトで何とか生活費をヤリクリして4年間で卒業出来て本当によかった。大学1年生の時に、卒業の為にどうしても取得しておくべき必修科目を落としてしまい、4年生になった時点でもその科目の単位が取れていなかったので、それを落とすと卒業出来ないという絶体絶命の大ピンチ、精神的ストレスは最大級のもので左目の眼底が出血してしまい、その頃はまだ珍しかったレーザーよる照射手術を受けたほどでした。その後「卒業危機のストレス」はトラウマになってしまい大学卒業後10年間「卒業出来るだろうかどうなるのだろうか?」という同じ悪夢にうなされることが何度も何度もありました。すんなり卒業を決めていく仲間たちに比べ「自分はなんと能力的にも低い二流、いや三流人間なんだろう。」と痛感することしきり。当に頭の良い人は羨ましい。私は試験という試験、英語などの検定試験を受験しても一度で合格したことなどがないんです。必ず、少なくとも一度は落ちてしまうんです。真面目に勉強しても頭が悪いというか、要領(頭の容量が足りない?)が悪いというのか・・・。

学を卒業後、紆余曲折があり27歳の時にある会社に就職しました。高校時代に抱いた「ロサンゼルス」に行きたいという想い。その漠然とした夢を胸に抱き続けていた私ですが、一人のサラリーマンになってしまった時点でそんな想い(夢)などは叶うはずもないのだと思い、ただ黙々とその日与えられた仕事を一生懸命にこなし続けていました。その会社に入社した後も、英語の勉強と会社から与えられたミッションに全力で挑戦し続けていました。二流なり三流なりに、只、ひたすらに愚直なまでに。入社してからの3年間はもう無我夢中でとにかく仕事に没頭しました。三年間、ひたすらに英語での仕事に取り組んでいくうちに最初はちんぷんかんぷんで全く内容が分からなかった英文契約書が少しづつ読めるようになってきました。そして、いつしか一人で英文契約書をチェックして署名が出来る段階まで仕上げられるようになっていました。

そして、・・・ついに。転勤命令

高校時代に抱いた漠然とした想いから時が経過すること10年。その会社に勤務して3年が経過した1991年12月、会社から辞令が言い渡されました。 正式な辞令が書かれた用紙には「ロサンゼルス勤務を命じる」との文字が。 アメリカのロサンゼルスにある支社への転勤命令でした。お話しているように私は決してエリートではありません。ですから現実には駐在員候補の枠にすら入れないだろうと思っていました。駐在員になることは夢ではあったもののまさか本当に実現する事になろうなどとは思ってもいませんでした。そうです、自分がロサンゼルスに行けることになるなんて。世界中の映画ファンを魅了する町・ハリウッド。そのハリウッドがあるロサンゼルス。高校時代から抱いていた想いが天に届き、 その後の3年と4ケ間(1992年3月から1995年7月までの間)ロサンゼルスに赴任し英語と映画の本場で生活をするという夢の扉が開いた瞬間でした。

 つづく

体験記002ですが、PC・タブレットの方へ。【関連記事】の中に002がない場合は【月別アーカイブ】2020/5(17)の中にVOL.002がございます。携帯の方は下にある【記事一覧】の中に002がございますので、お手数をおかけしますが、そちらをクリックしてお読み頂けますよう、よろしくお願いいたします。