LA駐在生活体験記032 LA, you can do it.
⭐ちょっと一服、その1
今日は、ちょっと一服というか、少し寄り道の回にさせてください。自分のために使える時間が出来たこともあり、いつかやりたいと思っていた28年前の1992年からの3年間のロサンゼルスでの駐在生活の体験を記録として残そうと書き始めた訳ですが、ようやく「暴動」のことも「地震」のことも書くことが出来ました。
今このブログを書いているのは2020年の7月です。世界中が新型コロナウィルスの猛威にさらされて大変なことになっており、今まで普通だと思っていたことが出来ない世の中になってしまっています、残念ながら。
初めてのブログということもあり字が小さかったり、文章が長すぎたりと、読者の皆さんにはご不便をかけてしまっていると思います。でも、もしこの機会に書かなかったならば、結局、書かず終いになっていたかもしれません。でもここまで何とか一挙に31巻もの記事を書くことが出来ました。
この92年からの3年間は、実に中身の濃いものでした。ハリウッドスターに会えたりアメリカの様々な都市部を訪れたり、学生の頃、漠然と「こんなことが出来たらいいのになぁ」と思っていたことを次から次へと実行・実現することが出来た訳ですから、自分の願いは大分叶ったことになります。95年7月にLAでの任務を終えて日本に帰国することになったのですが、その後の人生で間違いなく得難い経験となったのは、やはり「暴動」であり「地震」でした。世の中には人知の域を超えたことも実際に起こってしまうという事を身をもって知ることが出来たわけですから。
「暴動」も「地震」もその渦中にいる時は、それはそれはものすごく大変で「一体、この町は、我々はどうなってしまうのだろう。」とその苦境の中で、重苦しい重圧に押し潰されそうになって、もがき苦しむのですが、ただそれは自分一人だけではなく、ロサンゼルスの市民全員も同時にみんな同じ苦しみを味わっており、それゆえに市民全員がおのずと同じ方向を見すえて、何んとか踏ん張って我慢に我慢を重ねてその苦境を凌ぐことが出来、復興を目指して日々継続して努力をし続けたからこそ 「暴動」の後も「地震」の後も、以前と同様の生活を取り戻すことが出来たのだと思います。LAの人たちの努力の仕方は、日本人のように「やっている」と直接表に出すのとまったく異質なもので「endeavor」という言葉が相応しいのかどうかは分からないのだけれども、「とにかく俺たちはやるんだ」という溢れんばかりのスピリットを私はLAの皆さんから教えてもらいました。
苦難の時期というのはどんなに もがこうとも、その壁にぶち当たり、突き進んでいくしか方法はないのだと思います。日々復興のために努力を継続して行い、そして挑み続けていくことしかないのです。日本語で言う「四の五の言わずに」というやつです。
今、新型コロナウィルスが世界中に蔓延しています。もちろんLA・CAにも。もちろん日本にも。今は「四の五の言わずに、戦わなければならない時期です!」以前のようにマスクなしで色々な所に自由に旅行に行けて、楽しくみんなとわいわいレストランで食事をする、10年後、20年後に「あの時は世界中が大変だったよね。」と平然と振り返れるようになる為、一日も早く「コロナなんてもう怖くない」という状況を作り出さなくてはならないのです!!それに、次回ロスに行ったならば、誰が何んと言ってもピンク(というお店がある)のホットドッグが食べたいのです!特にチリドックが!!! それを言ったらTACO BELLだって!!(TacoBell、最近日本でもまた食べられる!)
⭐ちょっと一服、その2
この体験記を書くにあたり、ロサンゼルスの地図を見直す機会が多くなったのですが、地図を見ていると懐かしい地名ばかりで、不覚にも感情的になってしまいます。
FIGUEROA。どういう意味だかは分かりませんが、フィゲロアです。この響きなんとも言えません。PICOにOLYMPIC、HIGHLAND、Doheny
RobertsonやHawthone。
Western。昔、下を走るフリーウェイ101が見下ろせるあたりに「泥レスリング」をやっているお店があって、日本からお客さんが来て、一緒にそのお店にいくと盛り上がったんです。おっと、このブログは未成年の方も読んでいるかと思いますので、この話しはまたいつか・・・。
そして、現地で知り合った日本人仲間たちと夜飲みに行くとなるとTORRANCE,GARDENAあたりの日本人がやっている居酒屋風のお店に行っていましたね。ロサンゼルスで暮らす日本人には、このトーランスとガーデナ、あるいはグレンデールという地名は知っていて当たり前なところなのです。リトルトーキョーは日系人が多いのですが、日本から駐在でいく人達は、このトーランス地区に日本の会社の事務所やら工場が多いので自ずとこの地区で暮らす日本人が多いのであります。車のトヨタの大きなオフィスもトーランスにあるはずですよ、今も。だから日本人向けのレストランやお店も多いのです。
当時、ガーデナという地区に焼き鳥屋の「新撰組」というお店しがあって、そこにアメリカの友人夫婦と4人で行く機会があったのですが、私が連れていくのが日本の居酒屋風の焼き鳥屋だと思わなかったらしくて白人の奥さんが袖の長いドレスを着てきてしまい、すんごく食べづらそうで可哀そうなことがありました。キャベツの追加注文が入ると、店員さんが皆で「キャベツはいりまーす!!」と店内に響き渡る声で唱和してくれるのですが、それがそのご夫婦には大ウケで、そのかけ声が聞こえてくる度に、にこにこ顔が止まらないという状況でした。そして、帰る頃には二人してその物まねをしておりました。日本ならよくある普通の光景なのに・・。私たちがお邪魔した当時の「新撰組」さんはカリフォルニアでは最初に開いたお店だということでした。もしまだそこで営業なさっているとしたら、もう25年以上も続いているということになりますね。
今、カリフォルニアも「新型コロナウィルス」で大変だと思います。「新撰組」はじめ飲食店をなさっている経営者の皆さん、大変苦しい状況の中で御過ごしのこととは思いますが、皆さん、この厄介な代物に屈せずに何とかサバイブしてください!イギリスのことわざに「夜明け前が一番暗い」というのがあるそうです。東京も7月の2日、3日と感染者数が日々100人を越えており第二派到来かと言われています。油断せず基本的なことをしっかり守り気持ちで負けないように共に頑張りましょう!!
⭐ちょっと一服、その3
ロサンゼルスに赴任してすぐに行った車の路上教習の件をこの体験記004から006で書かせていただきましたが、このブログを読み続けてくれている私の知り合いから「あの教官ジェイさんは、もう出てこないの?あのキャラ、結構気にいってるんだよね。」というコメントをもらいました。そこでと言っては何ですが・・・・。
つづく