4.新居はパーク・ラブレア!(のつづき)
前回、ロサンゼルスで駐在生活をしていくに際してパーク・ラブレアというところに居を構えてLAでの生活をスタートさせていくことをお伝えしました。今一度、年代を確認しておきましょう。私がロサンゼルスに着任してから駐在生活をしていたのは1992年の3月後半からに1995年7月になります。滞在期間としては3年と4ケ月間、この町で過ごしていくことになります。
今このブログを書いているのは2020年5月です。駐在した当時からはもう28年も時が経過しています。今更なんでそんな古い情報を書いているのかとお思いの方も多いと思います。前にも書きましたが、私は母子家庭で育ちました。裕福な関係で育ったわけではありません。海外で英語を使える環境でいつの日か過ごすことが出来たらそざや素晴らしいだろうと漠然と思っていました。そんな目標を持った10代の頃からこつこつと英語の学習に励んできました。その結果、あきらめずに突き進んでいった末、私はロサンゼルスに行くことになり現地でさまざまな経験をすることが出来ました。それがどういったものだったか、良い経験、怖い経験、その両方を体験していくことになりましたが、どれもが得難い経験・体験になりました。若い世代の方々には目標を追いかけてほしいですし、同年代の方には92年から95年のあの時代にロサンゼルスにいた多くの日本人の中の一人の体験談として、VR的に何かを感じて頂けたらと思い、ブログとして書かせて頂いています。
この後の体験談を読み進んで頂くうえにも、1992年とはどういう年だったのか少しばかり振り返っておきたいと思います。さあ!時を戻そう!
1989年が平成元年でしたので、1992年は平成4年になります。日本の政治は宮沢喜一氏が総理大臣を務めており、1月にはXジャパンが日本人アーティストとして初めて東京ドームで3日間コンサートを実施、3月に新幹線「のぞみ」が運行を開始。長崎ハウステンボスが3月25日に開業。4月にアニメ「クレヨンしんちゃん」の放送がスタート。また歌手の尾崎豊さんが26歳の若さで逝去。9月に日清「ラ王」発売。同9月、明石家さんまさんと大竹しのぶさんが離婚。13年間オンエアされていた「クイズ100人に聞きました」の放送が終了。10月、翌年から読売巨人軍の監督に再度(第二次)長嶋茂雄氏が就任することが決まり、11月に行われたドラフト会議では星稜高校の松井秀喜選手を見事に引き当てました。同月に横浜大洋ホエールズが「横浜ベイスターズ」へチーム名を変更。ソニーがMDプレーヤーを発売。アメリカではビル・クリントン氏が大統領選に勝利してジョージ・ブッシュ氏の後の第42代大統領になることが決定。「なるほど、ほぅ~そうだった、そうだった。」という事ばかり。
平成が始まった頃の日本は、世界の中でとても強い国であったと言えるでしょう。いや、本当に強かったのです。なにせ今ではほとんど使われませんが「ジャパンアズナンバーワン」という表現が頻繁に使われており、最先端のテクノロジーを武器に電器製品や任天堂ファミリーコンピューター、セガサターン、SONYのプレイステーションなどの家庭用ゲーム機が日本だけでなく世界中で売れに売れていた時代でしたから。
1989年にアメリカのメジャー映画会社のコロンビアピクチャーズがSONYに買収された時は、アメリカでは落胆の意味を込めて「魂を売った!」と当時のメディアが一斉に報じていたほど日本のパワーは凄かった(買収額は47億ドル、当時のレートで6,700億円)。 特にジャパンマネーと言われた資本力は相当に強かったと言えるでしょう。その翌年の1990年に今度は松下電器(現在のパナソニック)がユニバーサル・ピクチャーズを買収しました(61億ドル、当時のレートで7,800憶円)。以前、初めて出張でロスに行った際、訪れたユニバーサルスタジオはアメリカの会社が運営するスタジオだなぁと感じたのですが松下電器が買収した後に再度訪れた際には、園内の案内放送に日本語が加わっていたので、買収するとこういう効果もあるのかと妙に納得したことを覚えています。
それでは、時を1992年3月の月末から4月あたりに戻して、体験談の続きに話しを戻していきましょう!
5.やったぜ、ビバリーコネクション!
パーク・ラブレアのメインゲートを出て左折して西に向かって車で6,7分も走るとビバリーセンターというショッピングセンタービルがあります。オープンは1982年。
92年当時ですでに10年が経っていたわけですが、8階建て(2階から5階までは駐車場)の物凄く広いショッピングセンターで、当時こんなドデカいショッピングセンターなど日本にはありませんでしたから、この施設に行く度にアメリカのスケールの大きさにただただ圧倒されました。
2020年現在、缶コーヒーの宣伝でお馴染みになっているトミー・リー・ジョーンズですが、彼が主演した映画「ボルケーノ」(1997年)を観ると、なんとこのビバリーセンターの近隣、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムの横、タールピットの池からマグマが噴出して溶岩がウィルシャー通りに流れ出して未曽有の大惨事となっていくという設定で、一度は流れが止まったかに思われた溶岩は地面の下で地下鉄のラインに沿ってビバリーセンターへと向かってしまい、ビバリーセンターの横の通りからマグマが空高く噴火するシーンがあり、映画にはパーク・ラブレアは出てきませんでしたが、住んでいた家の近くの様子が克明に描かれていたのでとても驚きました。
さてさて、ここで書こうと思っているのはビバリーセンターではなくすぐ横のラ・シエネガ(La Cienega)通りを挟んで真向いに建っていた「ビバリーコネクション」(Beverly Connection) の方なのです。
ここは当時ジェネラルシネマという6スクリーンあるシネコンの映画館が入っているばかりか「ラルフス(Ralphs)」というスーパーマーケットや雑貨屋、ブックストア、CDショップやレストランがあり、とても便利で楽しめて気軽に利用出来る上、建物が悪い奴らが侵入しづらい構造になっていたので安心して足を運べました。
つづく
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