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ロサンゼルス駐在生活体験記: ロサンゼルスにやって来た!【再掲載003】

 昨秋、還暦を迎えたバツイチ男性です。以前書いたブログに修正を加えて再度若い人たちに向けて発信していくことにしました。以下の「駐在記」は1992年にロサンゼルスに滞在していた時の「私個人の滞在の記録」です。今からもう30年も前のものになります!

30年も前の記録・記述になるのですが、何故か、好評を頂いております。さあ、時を戻してみていきましょう!!

 

2.ロサンゼルスにやって来た!(つづき)

到着当初は、異常なまでの警戒心からすれ違うすべてのアメリカ人がギャングか強盗の一味なのではないかと思ってしまい、上から下までジロジロ、ジロジロと不信感いっぱいの目で眺めていました。かなりびくびくしていたので、壁づたいに歩いていました。

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David Mark によるPixabayからの画像 

その上、今にして思えば、その時の私は目が異常に血走っていたので「なんだ、この日本人は?なんで壁に沿ってカニのように横歩きしてるんだ?」と思われたはずです。

前任の駐在員が帰国してしまうと現地ロサンゼルス支社の従業員は私一人だけになってしまうという状況がありましたので、その翌日の早朝からみっちりと中身の濃い引継ぎ業務が待っていました!

ロサンゼルスでの新生活をスタートさせるにあたり、まずは

「ソーシャル・セキュリティ・ナンバー

(Social Security Number、社会保障番号) 」

なるものを取得しなければならないと先輩駐在員から言われて、ウィルシャー通りとラブレア通りが交差する所にある薄暗いセキュリティオフィスに出かけていきました。この番号は一人一人に付けられる背番号みたいなもので、税金納税時に必要で、これがないと銀行口座も作れないし、仕事にも支障が出てくるという代物でした。(今の日本のマイナンバー制度のようなものですね)

私がロサンゼルスでの生活を始めた1992年の3月はまだ地下鉄が開通していませんでした。東京は地下鉄が縦横無尽に張り巡らされていて車などなくても地下鉄やJRを使えば行きたいところにすんなりと行けましたが、92年当時のロサンゼルスは車がないとどこへも行けませんでした。確かに時間をかければ歩いて行けるのでしょうが、ギャングに銃で撃たれるかもしれないと言われてしまったので、歩きたくても歩けないという事情もありました。

日本から「国際運転免許証」を持ってきてはいましたが、この国際免許証を見たことがある人はお分かりだと思うんですが、その免許証の番号の長さがもの凄く長いのです。「一体何桁あるんだ。」とあきれるほど長いのです。そんな訳で身分証明書として使うにはあまりにも適してはいませんでした。 身分証明として運転免許証を使う頻度が日本より多いアメリカではやはりこの町で使用する独自の免許証を新たに取る必要がありました。

東京にいた時は、運転免許証は持ってはいたものの、所謂、ペーパードライバーだったので、車の運転はまったく出来ませんでした。

ロサンゼルスで生する・仕事をする上で最初にクリアにしなければならない課題は「車」を運転してロサンゼルスの中を自由に行き来が出来るようになるということでした。英語の習得云々よりもまずはこの方が先でした。

ただ、運転出来るようになるということが、あれほど大変なことだとは思ってもいませんでした。アメリカで運転するのは「左ハンドルだから大変よ、きっと。」などと東京で言われてはいたけれど、もともと日本で運転なんかしてなかったわけで、ハンドルが右だろうが、左だろうが、ほぼ最初から運転の仕方を思い出しながらの運転なので、ハンドルがどちらについていようが関係はありませんでした。兎にも角にも、業務の引継ぎ期間が2週間しかなかったので、自分一人で動きまわれるようになっておかないと仕事に支障が出てしまいます。

そんなわけでロスに到着してからの最初の週末にやったことは、レンタカーショップで車を借りての自主トレでありました。

しかしながら、完全なるド素人状態だったので、ただただ真っ直ぐにしか進むことしか出来ませんでした。ビバリーセンター近くのレンタカー屋で小さめの赤い車を借りたのですが、レンタカー屋から普通道路に出るだけで一苦労で、何とか一般道に出てからも、もう怖くて怖くて真っ直ぐにしか進むことが出来ず、道を曲がろうとすると他の車がまわりにいなくなるまでずっと待って待って待ってから曲がるものだから、ロサンゼルスを北から南にまっすぐ下にずんずんとただ下っていくことしか出来なくて。でも、さすがに背の高い建物がなくなってきて、もうかれこれ40分位ただひたすらに真っ直ぐに下に走り続けていると、さすがにもうそろそろ左に曲がらないとまずいだろうと思い、ようやく左に曲がるにしました。40分もの間、ロサンゼルスの町を北から南にずんずんずんと走り続けていたので、自分の廻りに車がいないという状況がようやくやってきました。そこで初めて左に曲がるウィンカーを出して、初めて「左折」なるものもが出来たのであります。 今度はロサンゼルスの町を西(左)から東(右)にただ単に横切ってずっと車を走らせることになりました。これはどういうことかというと、ロサンゼルスの南部付近の町を左からダウンタウンの方向にひたすら真っ直ぐにただ車を進めていったというわけです。

すると道路の左右に、なんだかとても高いビルがたくさん立ち並んでいるビジネス街に入っていきました。ここは、おそらくロサンゼルスのビジネス街・ダウンタウンというエリアに入ってきたに違いないと思いました。「地図くらい買ってから車に乗ればよかった」と後悔しました。まっすぐにしか走れていないのにロサンゼルスの東部にあたるダウンタウンというエリアにいるという状況なわけで、

「一体、どれだけの間、俺はただひたすらに真っすぐに

 走っているんだ?!」

と思いました。でも、気持ちだけは高揚していて

 「俺は憧れだったロスの町中を、走り抜けているぞ!」

 まっすぐにしか進めない「へなちょこドライバーなのに、なぜか凄いご満悦で達成感のあるファーストドライブをしていると感じました!

「俺って、かなりたいした奴なのかもしれない!」などと

と決して回すことの出来ないハンドルをしっかりと握りしめながら思っておりました!やることはただ前の車との車間距離をしっかり取って、信号が赤だったら止まる。青になったらまっすぐに走っていくことの繰り返しでありました。(何ともお恥ずかしい!)

曲がることのない車は高層ビルがそびえていたダウンタウンのビジネス街を抜けて、ただひたすらに、どんどんとまだ直進を続けていくのですが、そのうちになんだか荒んだ感じの家々が建ち並ぶ暗い感じというか、雰囲気というか、そんな街中に入っていきました。その辺りから、もしかしたら、これってみんなから「行ってはいけない」と言われていたギャング団が潜んでいる町に入ってきてしまっているのではないかと思いました。地図もないのでどこをどう走っているのやら、ダウンタウンを通り抜けているのは確かだと思うだけれど・・。

レンタカー屋を出たのが11時。車の時計を見るともう4時になっていました。メシも食わずにただただひたすらにロスの道をまっすぐにまっすぐにと5時間も走り続けていました。長時間走り続けていることに気づいたら急にトイレに行きたくなってきてしまいました。でも、ロスの中でもかなり危険だと聞いていた地域に来てしまっているわけなので迂闊にコンビニに行くことなどしてギャング団に遭遇などしてしまったら、とんでもないことになると思い、一瞬のうちにある決心をしました。もういい大人なのだから、ここでギャングに遭遇するくらいなら「車の中で漏らしてしまってもいい!!、ジーパンとパンツが濡れるだけだし。誰が見ているわけでもない!ただそれだけだ。それが大人の判断っていうやつだろ!『君子、危うきに近よらず』だよ!」と思い、ついにウィークリーアパートのあるウエストウッド地区へ戻るべく自らハンドルを切る決心をしたのです。

それからアパートへ向かう車中。40分位走ったでしょうか。初めての週末で沈みゆくロサンゼルスのでっかい夕陽を見ました。それは日本で見る夕焼けとは一味も二味も違っていました。とてもとても綺麗でした。さすがはカリファルニアの夕焼けだなぁと思いました。

風が最高に心地よかったのを覚えています。

ただ、自宅までトイレに行けないことを覚悟して走っていたので、ハンドルから下の部分のジーンズとアンダーウエアはいい具合に水分をまとってしまっていたのでした!でも、それすら何とも心地良く感じられるほどロスの夕陽の中でのドライブは素晴らしいものでした!!

つづく