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ロサンゼルス駐在生活体験記 : やったぜ、ビバリーコネクション!【再掲載09】              

やったぜ、ビバリーコネクション!(のつづき)

LAのど真ん中にあったこの施設は当時ジェネラルシネマという6スクリーンあるシネコンの映画館が入っているばかりか「ラルフス(Ralphs)」というスーパーマーケットや雑貨屋、ブックストア、CDショップやレストランがあり、とても便利で楽しめて気軽に利用出来る上、建物が悪い奴らが侵入しづらい構造になっていたので安心して足を運べました。

2022年の現在は、建物の立て直しなどをしており「映画館」は入っていないようだし、スーパーもないような感じですね。でも2022年の現代って、本当に凄いなぁと思うんです。今やインターネットをググると、当時使用していたLAの施設が今どうなっているのか、調べると情報が取れる世の中になっている。こんな事、LAで暮らしていた30年前の92年当時は想像もしていませんでした。

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92年当時、ビバリーセンターの中の「ラルフス(Ralphs)」というスーパーマーケットに初めて行った時、そのバカでかさに度肝を抜かれました。食材の種類の多さや大きさの違い、牛肉などの値段の安さが目を引きましたし、お寿司やアボカドとカニかまを巻いたロールものがパックになって売られていました。この「ラルフス」だけでなくロサンゼルスにあるスーパーマーケットのほとんどがラルフスと同様の広さがあって食材をどこも豊富に取り揃えていました。アメリカは「なんでもデカい!」とは聞いていましたが、これほどまでにデカいとは思いませんでした。

1992年の当時のレジでのお金の払い方ですが、カゴに入っている品物が6個以下だけの人が並ぶ特別レジがあったり、カード払いが日本より進んでいて200円、300円の買い物でもクレジットカードを使うのが普通でした。

日本だとスーパーのかごをレジの台の上に乗せてレジスタッフが一つ一つバーコードを機械に読ませて支払いを行いますが、アメリカの場合は、レジ台がベルトコンベアー式になっていて、どのレジのベルトコンベアーの上にも細長い四角形の棒が置いてあって前の人の品物と自分の品物とを区別するためにその棒を仕切りとして使うのです。

当時、レジは二人体制になっていて一人はお会計を、もう一人は荷物を詰めてくれる係でした。初めてレジに並んだ時、奥の袋詰めスタッフが私に向かって何か聞いてきました。私の後ろには何人かがすでに列を作っています。

 「ペーパー オワ プラスティック?(Paper or plasic?)」

 「(このおばちゃん、何言ってんだ?)」

私が「何を言ってんだか?」という顔をしていたら、後ろの中年白人女性が「紙袋でいいの?」と言って助け船を出してくれて、オオ、オオ、イェイ。そうかそうか。「買った品物は紙の袋に入れる?それともビニール袋に入れる?」と聞いてきてるわけか。正直、どっちでもいいんだけど、その時その時、自分で決めて伝えりゃいいだけの話しなんだなぁ。何んともお恥ずかしい!向こうからしたら、ただ単純に、

紙袋?それともビニール袋にする?」

と聞いてるだけなんだものなぁ~レジのおばさまに「Paper, please!」と答えて何事もなく事なきをえたけれども、何んとも、まあお恥ずかしい限りです。でもビニール袋のことを「プラスティック」ということは想像していませんでした。

買い物の仕方一つ取っても違いましたし、90年代の初頭の、日本ではまだスーパーで飲料水を買うという習慣はありませんでした。しかしながら、もうロサンゼルスのスーパーでは様々なメーカーが大小様々な大きさの水が売られていましたし、バケツ大の大きさのアイスクリームも3ドル未満で売っていました。

日頃の買い物を「Ralphs」で行い、平日仕事をして、週末は映画を観にビバリーコネクションか隣のビバリーセンターに行きさえすれば、ロスでの生活は自然と過ぎていく、そんな感じでした。それとやはりここは映画の都・ハリウッドがある町なんだなぁと感じさせてくれたのもビバリーコネクション(もちろん、ビバリーセンターも)だったので、ロスでの生活に、本当に潤いを与えてくれました。

ビバリーコネクションとビバリーセンターの辺りは、当時の日本の有名なタレントさんたちもプライベートで訪れては余暇を過ごしている姿もちらほらと見かけられました。

92年の頃は、インターネットというものはその存在は知られているものの、世間一般にはまだ普及しておらず一般の人が気軽に使えるという環境が整っていませんでした。当時の日本のインターネットの人口あたりの普及率はわずか3%位です。50%に到達したのがようやく2001年、21世紀になってからだったので90年代のインターネットの使用は、まだまだ発展途上でこれからという段階でありました! 

そういった訳で、202年の今であれば瞬時にアメリカだけでなく世界中の情報がネットから拾うことが出来ますが、90年代初頭はネットどころか携帯すら普及前でしたから情報のやり取りも旧式のままに行う最後の時代だったといえるでしょう。映画の新作情報も瞬時に伝達することなどが出来るレベルではなかったので、日本から有名な映画評論家の方々がやって来てこの辺りのホテルに宿泊をして日本に先駆けて劇場公開される新作映画を観られるだけ観溜めをして帰国されるということも分かりました。

それからビバリーコネクションに足繁く通うようになるわけですが、やはり場所柄から日本のタレントさんばかりでなくハリウッドのビックな映画関係者たちがゆったりとプライベートの余暇をこの辺りで楽しんでいる、そんな姿にも幾度となく出くわしました。まぁ、私はかなりの映画好きなのでハリウッドの映画人の裏方さんの顔も知っていたからこそ楽しめたというところはありますが・・・。

CD・ビデオショップのレンタルコーナーでは「ダイハード1、2」「リーサルウェポンシリーズ」「マトリックス」などを手掛けた大物プロデューサーのジョエル・シルバー氏が美しい女性とレンタルビデオのパッケージを見てその表紙のデザインが「これは良いとか悪いとか」の会話をしていたり、いづぞやは映画館でジョン・リスゴー主演の「ケイン」という映画を観て劇場を出ようとしたらすぐ後ろに「アンタッチャブル」「ミッション・インポッシブル」を監督したブライアン・デ・パルマ氏本人がいて凄く驚いた事がありました。またある時は一階にあったレストランから出てきてボーイさんに自分の車を店先に回してほしいとお願いしている人物の顔をみたらジョン・ランディス監督でした。彼は「ブルース・ブラザース」の監督ですし、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の演出していた大御所です。あのメガネにあのアゴのひげです、間違えようがありません。 

その時は、やはりここは映画の都・ハリウッドなんだなぁと感激して誰かとその驚きとワクワク感を分かち合いたかったのですが、誰にも伝えることが出来ず、一人でただただ興奮しておりました!!

つづく