⭐ジェイ先生の後日談 ④
その後もジェイ先生の授業は連日のように続いていき、日数的には確かに私よりもかかってはいましたが次回はいよいよ「フリーウェイ教習」が出来るレベルにまでなってきたのでした。
「フリーウェイ教習」の当日。怖い怖いとは言いながらも「頑張ってくる」と言って勇んで出かけるまでになってくれたことは本当にありがたいことでした。
その日は天気もよくフリーウェイ教習をするには最適な日でした。
さてさて、その日、私は一日、自分の仕事をして定時に帰宅の途についた訳ですが、帰る途中、家内のフリーウェイ教習はどうだったのかとても心配でした。やはりあまりの怖さでまたゲッソリしているのではないか、はたまた半べそをかきながら、また「止めたい」と言い出しはしないか。
「ただいま」と帰宅してみると、家内はごくごく普通に晩御飯を作って待ってくれていました。「で、どうだった?フリーウェイの教習は?」と聞いてみると「うん、うまくいったよ、もうすぐ試験の時に走るコースの練習をする最終段階に入る。」って言ってた と こちらが気抜けするぐらいあっさりと言うのです。
手洗い、うがい、部屋着に着替て、食卓に向かって、更にフリーウェイでの教習の模様を尋ねてみました。すると「もう天気が良すぎて暑くてね、ま、冷房が効いてからいいんだけど、それよりも日差しが強くてまいったわよ~」と全然運転に関係のないことばかり話してきて、「まっすぐにしか走れなかったけど、スピードを出して走るのって楽しいわね。」とあっさりとしたもんです。私は兎に角、初めてフリーウェイに乗った時は恐くて怖くて仕方なかったのに・・・。
ただ案の定、私同様、ひたすらまっすぐに走り続けていったのだそうです。私の場合は、フリーウェイの405号をサンディエゴ方面にずんずんずんずんとただひたすらに南下していったのを覚えていますが、今日の家内のコースはまた別のようで、どうもフリーウェイを北の方向にずんずんと行ったようでした。
やはりフリーウェイに乗ると、車線変更はせずに、ただひたすらにサンタモニカから真っ直ぐにずんずんずんずんと上(北)の方向へ向かって走っていったそうです。私の時と同様、先生の「無言の時間」がかなり続いていたようです。確かにドライブ日和ではありましたが。
とにかくどんどんロスの中心から離れていき廻りのフリーウェイから見える外の景色が都会のビルというよりも山というか、自然が溢れている中を調子よく走れてとても気持ちが良かったのだそうです。1時間以上走ったあたりで左手に大きなジェットコースターのある遊園地が見えてきたそうです。
ジェイ先生曰く
「この遊園地、マジックマウンテンというのですよ、今日は行きませんが・・。」
と言ったそうです。
「えぇっ、マジックマウンテン?初めてなのにそんな遠くまで行ったのかぁ!!」と私は驚きました。
そりゃ、運転に慣れている人ならスイスイスイと「シックスフラッグス・マジック・マウンテン」という遊園地まで楽に行けるかもしれませんが、初めてのフリーウェイ運転なのにいきなりロスから50キロ以上は離れている「マジックマウンテン」まで行ってしまうとは、さすがはジェイ先生です。家内も家内で自分がロスの中心からどれだけ遠い所にある「マジック・マウンテン」に来ているのかおそらく皆目分かっていなかったと思います。ただ先生の指示に従って真っ直ぐ走りつづけていただけでしょうから。
するとジェイ先生の口からまたあのフレーズが飛び出したそうです。
「あなたは一体、どこまで行く気なんですか?」
恐るべしジェイ先生!
家内はまたもや心の中で
「あんたがどんどん走れ!って言ったんだろが」
と怒鳴っていたようです。しかし、冷静に運転に集中しようと考え、心の怒りを鎮めて、兎に角、一旦、フリーウェイを降りて、トイレ休憩の時間を設けてもらい、そして、再び、ロスの中心に帰るべくフリーウェイを南に下るラインの入り口から進入していき、帰りのフリーウェイもただただひたすら真っ直ぐに一番左の車線を走りに走って帰ってきたようです。
本当の所、どうやって自分の家まで帰ってきたのかまったく覚えていないとのことでした。
ただジェイ先生が
「今日の教習はここまでです。最初のフリーウェイでの運転お疲れさまでした。奥さんの方がフリーウェイでの運転はうまかったですよ、ご主人に比べて。ご主人はびびることしきりで、私がどれだけアクセレイターと言って足を押さないとスピードを上げませんでしたからね~~、あの時は恐かったのですよ、私も~」
と私の初めてのフリーウェイ突入時に後ろの車のドライバーに怒鳴られたことを覚えていたようなのです!
う~ん、やはり恐るべしミスタージェイ!
でも、このフリーウェイ研修があったからこそ、私も家内もロサンゼルスで免許を取得してから、慣れるまでに半年位はかかってしまいましたが、フリーウェイに乗れるようになりました。運転出来るようになったおかげでドジャースタジアムにも、アナハイムにも、サンディエゴ、ラスベガス、そしてサンフランシスコにも車で行く事が出来るようになった次第です。
このスキルは日本に帰国してからも十分に活きることになり、日本でも高速道路にすんなり乗れるようになりました。ジェイ先生の初めての「フリーウェイ講習」の時は他の車がビュンビュン飛ばしながら走る車のスピードの速さに兎に角ビビりまくり「胆を冷やしながら」走っていた私ですが、ジェイ先生の「フリーウェイ講習」を受けて帰って来た日の家内は「スピードの速さ」にあまり怖がっていませんでした。どうも彼女は「スピードに対する恐怖心」があまりないようなのです。日本の高速道路に乗る時も、私は高速道路が空いていてもスピードはあまり出さないのですが、家内は彼女が運転する際、私がスピードメーターから目を離すとやたらスピードを出したがっていました。どうも「スピード」に対する恐怖感って男女の違いよりも「その人その人」個々の持って生まれたもののようですね!
とりあえずロサンゼルスでジェイ先生から受けた自動車教習の時のお話しは今回までです。次回からはいよいよロサンゼルスで始めまった当時の現地での生活の模様をお伝えしていきます!!