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ロサンゼルス駐在生活体験記 : 暴動の眠れぬ夜③【再掲出13】              

ロサンゼルス暴動の眠れぬ夜(のつづき)

私はその後も明け方まで長時間テレビを見続けていました。 警察のヘリが、数回、頭上を通過していったのがうっすらと記憶にあるのですが、いつしかどっと眠気に襲われてテレビの前で眠りこんでしまいました。そして、いつしか外が白じんできていました。

Pixabayからの画像

二人の安否を心配して日本の家族が電話をかけてきてくれました。けたたましくなった電話の音で目を覚ましました。朝の8時半でした。ロスの朝8時半は、日本時間では夜の12時半。ロサンゼルス暴動を伝える夜の報道ニュースを見た日本の家族が驚いて電話をかけてきてくれたのです。「今のところ二人とも無事なので心配しないように。」と伝えて電話を切りました。そして、すぐさまに日本に帰国した会社の先輩宅にも連絡を入れて自分たちが無事であること、またしばらく自宅勤務(待機)したい旨を伝え、会社からOKを取ってもらえるようにお願いをして電話を切りました。

しばらく経ってから分かったことなのですが、この家族からの電話と会社の先輩へかけた電話の後も日本の友人たちが心配して電話をかけてきてくれていたようなのですが、その後は日本からいくら電話をかけてもまったく繋ながらい状態になってしまったそうです。

一夜明けた4月30日。ロサンゼルスのトム・ブラッドリー市長はこの日「非常事態宣言」を出すことになります。

依然として外からはパトカーと消防車のサイレンの音が鳴り響いていました。テレビでは一夜明けた暴動の町のあちらこちらの様子を伝えていました。

そのうちの一つにまたショッキングな映像がありました。ダウンタウン方面のスーパーマーケットに一般家庭の母親が子供連れでやってきて盗みに入り、母親が両手いっぱいに品物を抱えて出てきて、自分で持ちきれない分を子供達に持つのを手伝わせていました。他の人がやっているのだから自分もやらないのは損だという考え方なのでしょう、このチャンスを逃してはならじとばかりにこの大きな電化製品のお店には数多くの人・家族が押し寄せていました。人間、極限状態になると倫理観などはこうも脆いものなのかと思い知らされました。

町のあちらこちらで上がり続けている火災の黒煙暴動はいつ終わるのか、先の見えない混沌とした状況となっていました。

暴動は、ロサンゼルスの南東のダウンタウンからサウスセントラル方面がメインであり、町の中心から西側に位置するビバリーヒルズ、更に西の海岸線のサンタモニカ方面にまではまだ及んでいないという感じでした。

このまま暴動が続くと、生活の基盤であるガス電気水道などがストップするかもしれない。そうなると「食料と飲み物」はどうなる?それらを確保しておかないと後で困るのではないか?やはり早いうちにスーパー?に行って買い込んでおかないとすぐに水と食料などは底をついてしまう。

というわけで、朝いちで行う2つの重要なこと。一つは「会社から重要書類を持ち返ってくること」もう一つは「食料と飲料水を買い込んでくること!」となりました。

家内と軽く朝食を摂った後、午前10半過ぎに車に乗り込んで重要書類を取りに会社のオフィスに向かいました。空は一面に広がっている黒煙のせいで暗くどんよりと曇っており、気のせいか吸い込む空気もどこか煙たい感じがしました。

考えることは誰しも同じようで道路は買い物に出た車で膨れ上がっており、いつもの2倍以上の台数の車で混んでいました。混んでいる原因の一つは信号機でした。道路中の信号機がストップしているため、交差点のところで道を譲り合いながら徐行しているのでいつもの2倍くらいの時間がかかって前へ進んでいる状況でした。

そんな混乱した中でも関心したことがありました。信号機がストップしていて、現場に交通整理をする警察官がいないにも関わらず自然と「譲り合いの精神」が生まれていて信号に到着した順番で皆が目配せなどをしてうまく車を進めていました。声を荒げて我先にという人がいませんでした!

いつもなら自宅から車で10分もかからずにオフィスの入っている2階建ての建物に到着するのに、やはりその日は2倍以上の時間がかかりました。幸い私のオフィスが入っているビルへの被害は無く、すんなりとオフィスの中に入れたので速やかに会社の重要書類をピックアップして持ち出すことが出来ました。ただ会社のビルから三軒隣りの道の角に小ぶりの洋食レストランがあったのですが、手榴弾か火炎瓶が投げ込まれたらしく、道路に面した屋根が丸く大きく吹き飛ばされていて、店内は焼け焦げていました。

車で次に向かったのはビバリーコネクションの中にある「RALPHS」というスーパーマーケットでした。しかし、ビバリーコネクションの駐車場の入り口の所には「RALPHS  IS CLOSED (ラルフス閉店中)」という大きな札をもった係員が立っていました。多くの車のドライバーがこの表示を見ては落胆して次なるお店へと車を向けていました。我々もがっかりして次のスーパーを目指しました。道すがらふと目をやると昨日まで通りに面して建っていたはずの比較的大きなカメラ屋が全焼し黒焦げになっていました。ただ唖然としか言いようがありません。二軒目に訪れたスーパーマーケットも閉店になっていました。どこのスーパーも開けていると暴徒たちがやってきて、いつ略奪の標的になるか分からないので店を閉めるという安全策を取っているようでした。車のラジオから聞こえてくるニュースでは、

「ブッシュ大統領の指令の下、M16ライフル銃を手にしたナショナルガードの何百人もの兵士たちがロサンゼルス市警と共同してこの悪夢のような事態の鎮圧に乗り出した」

と報じていました。

 

三軒目にしてようやくオープンしているスーパーを見つけることが出来ました。そこはビバリーブールバード沿いにある木造りの店構えの自然食品の専門店でした。あまり目立たない店構えだったので人が押し寄せてはおらず店内も混雑はしていませんでした。店内のお客さん達はいたって穏やかにカートの中に多くの食品と飲料水を詰め込んでいました。

我々は、そんな悠長な買い方は出来ず、日本人だからなのか今にもギャング団が押し寄せてくるのではないかとの焦りから(恐らく)目を血ばらせながら品物をカートの中にどんどん詰め込んでいました。なぜにこうも肝っ玉が小さいのか、時を経て、冷静に振り返るととても恥ずかしい気がします!

買い物を済ませてパーク・ラブレアのアパートに戻りましたが車のボンネットの上には空から降ってくる細かい灰が積もっていました。

駐車場から自分の棟に帰る途中、仕事を通じて知り合いになり、同じパーク・ラブレアの住民であることを知ったばかりだった韓国人の孫さんと偶然会って、立ち話しをすることになりました。

つづく