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変な夢とLAノースリッジの地震(つづき)【再掲出31】

●LAノースリッジ地震後の復興●

 1994年1月17日、午前4時31分。夜明け前のしんと静まっている日の出前のまだ暗いロサンゼルスの町にマグニチュード6.6の地震がありました。

※以下のブログは前回からの続きになります。

そういった中でも生活を再開していくことになる訳なのですが、西は海岸線のサンタモニカからロサンゼルスのダウンタウンに向けて、ちょうどLAのど真ん中・中心を横に横切り走っているフリーウェイが「州間高速道路10号線:通称『テン』, サンタモニカフリーウェイ」です。

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上の写真は通常時のフリーウェイの模様であり地震発生時のものではありません。またサンタモニカフリーウェイでもありません。

Maxx GirrによるPixabayからの画像

それが途中のフェアファクスで陥没している為、普通に走れない状態となってしまったのです。この陥没は、以後、このフリーウェイを使って仕事先に通っていた労働者・サラリーマンたちの「通勤の足」をもろに直撃してしまい、極度のストレスがLA市民を襲うことになってしまうのです。つまり、どうやって勤務先に車でいくかというと、フェアファックスが陥没してために、その一つ手前の出口で降りて、迂回をしてわざわざフェアファックスの次のフリーウェイの乗り口まで行って、そこからまたフリーウェイに乗り直し、自分の勤務先であるサンタモニカ(あるいはダウンタウン)を目指さなくてはならないという何とも面倒なことになってしまったのです。

 

「一旦、降りて、下の道でフェアファックスの次のフリーウェイの乗り口まで行く」

 

この事によりロサンゼルスの一般道の込み具合が凄まじいものになってしまいました。地震の後、しばらくは正に「麻痺している」という状態になってしまうのです。

 

ですからフリーウェイが復旧されるまでは、その近辺ばかりかロサンゼルス中の交通が全てが麻痺してしまい、どこへ行くにも今までの2倍から3倍も時間がかかるという日々が続くことになってしまいました。

地震の爪痕は、町のさまざまな場所で見うけられました。建物やショーウィンドウなどは、町の至るところで割れており、崩れる可能性のある建物の回りにはカラーコーンやらロープが数多く張りめぐらされ始めました。そんな状態でしたから「これは元通りになるまではかなりの時間がかかるぞ」と覚悟をしました。

 

地震から少し日が経った頃、誰が言い出したのか分かりませんが「 ギャングたちの動きが再び活発化して、また暴動が起こるぞ!」とか「年内にまた物凄い地震がやってくるぞ!」などという「噂」というか「デマ」がまことしやかに聞こえてきました。(でも、結局はどちらとも起こりはしませんでした。)

ロサンゼルス市民達はその後、私も含めてですが、交通が完全に麻痺しているために、スムーズに移動が出来ず、仕事にも支障が出てしまい、イライラが募る一方でした。そんな中、更にやる気を削ぐ報道のニュースを目にすることになりました。

「フェアファックスとラ・シエネガ間に落ちてしまったフリーウェイの復旧作業にはおよそ1年近くはかかるだろう。」

というのです。

テレビでこの報道を聞いた時、ロサンゼルス市民は全員「そんなに長くかかるのか。」と皆一様に落胆していました 。考えてもみてください。1年もの間、朝と夕方の通勤・帰宅時にフリーウェイを一旦降りて、下の道を迂回して、長蛇の列に並んで、また乗り直すということを続けるんですから・・。もううんざりという気にもなります。

でも、確かに陥没したフリーウェイ近くにいくと、見事なまでにフリーウェイが本当にゴジラにでも踏みつぶされたかのようになっていて、ちょっとやそっとでは元通りにはならないことは誰が見ても一目瞭然でした。ですからLA市民は、やり場のないイライラを抱えて時を過ごさざるをえなかったのです。

はっきりとは覚えていないのですが、地震から10日位してからでしょうか、陥没したフリーウェイの辺りに建設関係の人たちが集まりだして、割と大きな「立ち入り禁止」の看板が置かれて、建設用フェンスが設置されはじめました。いよいよ復旧のための作業が始ろうとしていました。

私などは「今から復旧まで1年間かかるのか。」とあきらめてしまい、この生活に慣れることを考え始めていました。

アメリカに来てアメリカ人の仕事の仕方をみてきて、日本人と違うと感じたのは、特にお役所での仕事ぶりでした。例えばお昼の時間がきたら労働者の権利として窓口の担当者はどんなに混んでいても窓口を閉めて休憩に入ります。労働者の権利な訳であり、それを実行するのがアメリカンウェイなのだと思いました。日本の場合は、混雑しすぎた場合は窓口は閉めずに開けるという融通さがありますが、当時のアメリカの勤務状況は、実にきっちり?・しっかり?としていました。従って、復旧まで1年かかるのも仕方がないなぁと諦めていたのです。

しかししかしです。実際はそうではありませんでした。復旧に向けて動きだした建設関係のスタッフたちの底力は私の想像を遥かに越えていましたまずこの修復の工事現場にどこから持ち込んだのか、もしかしたら映画の撮影用のものだったのかもしれませんが、直径が2メートルはある日本ではお目にかかったことのない巨大な円形のライトが一台や二台ではなく数多く運びこまれていて、夜になるとそれらに一斉にスイッチが入り、まるで昼間と同じような明るい空間を創りだしました。さすがは「映画の町ロサンゼルスだ」と思いましたね。そして、数多くの、恐らく何百もの屈強な男たちが3交代制なのか4交代制だったのか、とにかく24時間・昼夜ぶっ通しでの復旧作業がもの凄い勢いでスタートしたのです。連日連夜のフル稼働で復旧作業に取り組む男たちの姿は本当に凄まじかった。私のような素人目にも

『この人たちの働きぶりは凄い!!』

とその工事の進め方、作業ぶりを目の当たりにした時、腕に鳥肌が立ちました。このペースであれば一年なんかかからないぞと期待も出来ました。

とは言え、復旧までの間、フリーウェイを一旦降りることに慣れ始めてくると、運転の仕方も「ゆっくり走る派」「空いているコースを見つけては出来るだけ早く走る派」に分かれていくようになりました。

ある日の午後3時頃、カルバーシティという町から自分のオフィスに戻ろうと普通に下の道を運転していた時、まっすぐな一本道が急に渋滞になり、車が前に進まなくなりました。前の車のドライバーたちも「どうして進まないんだ?」とイライラしはじめているのが分かりました。

その時です。みんなが右の上空を眺めだしているのに気がつきました。中には車から降りて上空を見上げている人も現れました。アメリカの車は左ハンドルなので、右の上空が見づらいのです。私は「どうした、なんだろう?」と左の車窓から出来るだけ頭を出して見上げてみました。するとそこには「大きくて色鮮やかな虹」があったのです。ロサンゼルスに来て初めて見る虹でした。いつも通り普通に運転していたらこの虹には気づかなかったかもしれません。人生で「流れ星」「虹」はそうは見られる機会はないですからね。見たいと思っても見られるものでもないので・・。

さてさて、アフターアースクエイクの生活に慣れてきた4月だったか、地震から3カ月が経つと色々なところで復興がなされてきて、驚くなかれです。当初一年間、早くても半年以上はかかると言われていた例のフリーウェイの復旧作業が僅か3ケ月で完成するというニュースが伝わってきたのです。これほど早く復旧が叶うとは!正直、驚きでした。

この復旧作業が完全に終了して「立ち入り禁止」のバリケードやテープが全て取られてフリーウェイが見事に再開通を果たすことを伝えるニュース映像を見た時、

アメリカ人が持つその底力

に圧倒される思いを再認識したのでした。

記憶が定かではないのですが、フリーウェイが再開通する際に式典があったのですが、この時はロサンゼルス市長だけでなく、ビル・クリントン大統領もロスにかけつけて、スピーチをしていました。全LA市民が歓喜して「この短い期間でよくぞやり遂げてくれた」と昼夜関係なく働き続けてくれた工事関係者全員に感謝していたに違いない瞬間でした。「LAノースリッジの地震」にまつわるブログはここまです。

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