ここまでは憧れだったロサンゼルスに赴任する夢を果たし着任してからのロスの生活の中で起こった出来事や訪れたレストランや出会えたハリウッドスターのことなどをレポートしてきました。少し過去に掲出した順番と前後しますが、今日からは体験記038からの再掲出で、しばしの間、ロスの周辺の町やさまざまな都市を訪れた時のことについて綴っていこうと思います。
2020年夏は、日本だけでなく世界中に新型コロナが蔓延していて旅行好き、特に海外旅行が趣味という方々は、前々から予定していた計画が実行出来なくなってしまい辛い日々が続くことになってしまいました。まさに日本人ばかりでなく、世界中の人々にとって辛い「我慢の日々」を過ごすことになってしまったわけです。
2022年の夏ですが、夏に入る前の時期は「コロナ第6波」も収まってかなり感染者数も減ってきていたのに7月後半から8月にかけて物凄い勢いでまた増加して本日8月6日の段階では「過去最高」の感染者数になってしまっています。それに伴い「死亡者」の数も増えてきてしまっています。そういった状況がある一方、今年はさまざまなイベントが数年ぶりに復活しています。「花火大会」も各地で再開されて賑わいを見せていますが、なんとか「感染者数はもうこれ以上には盛り上がらない」で欲しいと祈るばかりです。
さてさて、以下は1990年代のお話しです。古い情報ですが「温故知新」で何か今に活かせるものがあればという思いで、今日もお伝えしていきます。
=====================================
私は最初にロサンゼルスに行きたいと思ったのが高校生の時(当時16歳)だったのですが、実現したのは入社した会社で行かせてもらった最初の海外出張ででした。ある航空会社のキャンペーンで、出張に何人かでその航空会社を利用すると一人分の航空券がタダになるということ事があったんです。すると会社の方から「うちの会社のエージェント(代理人)に挨拶してきなさい!」と何んとも自然発生的な「恩恵」のおかげで、私は初めてロサンゼルスを訪れることが出来ました!当時(80年代)はそんな太っ腹なキャンペーンをする航空会社もあったんですよ!高校時代の「憧れ」から短い海外出張ではありましたが、ロサンゼルスに行きが実現するまで12年間かかりました。この時の海外出張がアメリカ本土、初上陸でした。海外駐在員としてロサンゼルス行きが決まるのは、それから3年が経過してからです。
=======================================
さあ、それでは再び私がロサンゼルスで生活していた1992から1995年に時を戻しましょう!
「さあ!時を戻そう!」90年代へ!
☆ パサデナ 独立記念日の花火大会だ!☆
本題の「花火大会」に行く前に、そもそも「パサデナって何?それは地名?だとしたらどこなの?」と思っている方もいるかと思うので、まずは「パサデナ」についてちょっとお話ししておきましょう。
パサデナは静岡県三島市、埼玉県春日部市と姉妹都市になっている町でロサンゼルスのダウンタウンから北東15キロの所に位置してオールドパサデナと呼ばれる地区などがあり、そこには映画館や飲食店も数多くあり、比較的安全な町として知られているので週末になると人が集まりとても賑やかです。2022年の今も同様の筈です。
※少し話が横道にそれますが、日本人駐在員が多いトーランス(Torrance)は千葉県柏市と姉妹都市なのです。「柏」と「春日部」って日本だと東武野田線(通称、東武アーバンパークライン)で繋がっているんです。すみません、とてもローカルな情報で・・・。
映画好きの私としては、ロサンゼルスに赴任すると決まった時からパサデナに行ったら是非立ち寄りたいと思っていた場所があったんです。それは「ギャンブル・ハウス」という建物なんですが、なにもカジノのように賭け事をするわけじゃないですよ。もうお気づきのあなた、そう、そこのあなたは私同様「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の大ファンかもしれませんね。この「ギャンブル・ハウス」という建物は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの中でドク(クリストファー・ロイド)が暮している家という設定でその外観が使用されているんです。まあ外観が使用されているというだけで、建物の中までドクの部屋になっている訳ではありませんが・・。映画ファンだとついつい期待してしまいますよね。期待していた私は90年代当時、訪れた際にその「中を見て」がっかりした覚えがあります「やっぱりドクの家の中じゃなかった」と。
7月4日といえばアメリカでは言わずと知れた「独立記念日」です。この日はアメリカ国民が国を挙げてイギリスからの独立を祝う日であり全米各地で盛大にイベントや花火大会が開催されます。
日本では今ではあまり見かけなくなりましたが、私が子供の頃の昭和30年代後半では祝日ともなると玄関や門の前に「日の丸の旗」を掲げてお祝いするという風習がありました。アメリカでもやはり祝日には国旗を家の前に立てる習慣があるようで7月4日は他の祝日よりも多く旗を掲げているように思いました。(1990年代の話しですよ)
アメリカで迎える最初の独立記念日であった1992年の7月4日は、友人の薦めもあり、このパサデナにあるローズボールという大きな競技場で行われる花火大会を見に行きました。
ローズボールは毎年1月1日に大学のアメリカンフットボール王座決定戦が行われることで有名です。1994年のサッカーのFIFAワールドカップの際にもローズボールが使われて連日熱い戦いが繰り広げられました。私自身も、この会場でサッカー・ワールドカップを観戦することが出来ました。
競技場で行われる花火大会なんてきっとスケールも小さいんだろうなあと正直あまり期待していませんでした。
私自身は子供時代から結婚するまで墨田区で暮らしていたので夏の花火大会と言うとどうしても
「隅田川花火大会」のイメージが強くて「おらが町の隅田川花火大会が世界一だな!」などと思い、毎年毎年、夏になるのが楽しみでしたから。
ですから、競技場で行われる花火大会はどんなものなのよ?と思い、それほど期待していなかったと言うのが本当のところなのです。
ローズボウルに到着し、スタジアム前のとても広い駐車場に車を停めて、少しづつ暗くなる中、数多くの人々がチケットを手にもって入場口から観客席の方へと入って行きます。普段はアメリカンフットボールやサッカーの試合を行う競技場なわけですからスタンドには数多くの観客席があるのですが、その日は客席は半分だけ使用して、残り半分の部分で花火が打ち上げられるスペースと演出仕掛けを置くだけのスペースとなっていました。このローズボウルは場内の席を全部使用すると92,000人収容出来るのだそうです。しかし、今日は半分を打ち上げと仕掛けに使用するので、その半分の人数ですからおよそ46,000人が花火を楽しみにやってくることになります。
その日のアリーナはどうなっていたかと言うと中央にロックバンドが演奏するように舞台が設置されていて、ゲートのオープン前から大きな音でギターのチューニングをしている音が響き渡っていました。
下の写真は、別のスポーツイベント時のローズボウルの模様です。この日はスポーツ観戦の日なので全席が埋まっていますが、花火になるとこの右半分が空席の状態になり花火の打ち上げと仕掛けを行う演出が施される舞台?のようになります。そして、左半分だけに観客が入り、年毎に変わる内容の「花火大会」を楽しむという塩梅(あんばい)です。
さてさて、時間とともにどんどんと席は埋まっていき、花火を見る側の席がかなり埋まってきました。すると、その日、演奏するロックバンドの生演奏が始まりました。かなりの大きさの生演奏が響き渡ると、すでに席についている何万もの観客たちが手拍子を打ったり、歓声を上げたり、指笛を吹いたりして会場のボルテージが徐々に徐々にと上がり始めました。バンドの生演奏はそれから30分間くらい続きました。その間に、観客たちは軽食・ファーストフードを食べたり、ビールを飲んだり、トイレに行ったりと各々がこれから始まる「年に一度の花火イベント」にそわそわとしていました。そして、演奏が終了して、バンドのメンバーたちが、観客から喝采を浴びながら舞台の袖への消えていくと、さあ、いよいよ、メインイベントである「花火」の打ち上げタイムとなりました!ちなみに「花火」は英語で「Firework」ですよ!! つづく