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ラスベガスで新年を迎えた時のおはなしです! その1 【再掲出42】            

ラスベガス

世界一のエンターテイメントの聖地で新年をやんややんやと迎えることが出来ましたぞ!その1

2020年の夏。コロナ禍のラスベガスの様子をニュースで見ました。でも、それは実に寂しい光景でした。私の知っているラスベガスではなかった。世界中がコロナと闘っている中、ラスベカスであろうとも避けれない事態であることは分っています。先日、シルク・ドゥ・ソレイユ(フランス語で「太陽のサーカス」という意味らしい)が破産申告を行い3,480人もの劇団員を解雇するとの発表がありました。私がラスベガスを訪れていた90年代はまさに世界中にシルク・ドゥ・ソレイユの名前が知れ渡っており7、是非彼らのショー「ミスティア」が見たいという人達がラスベガスに押し寄せていました。「諸行無常」「栄枯盛衰」は世の習わしではあるけれども、それが彼らの芸自体のせいではないことが悔しくて堪らない。ただただいつの日か復活してほしい、それを強く願うのみです! 2010年代後半、ラスベガスという町の年間の観光客数が4千万人を越えてきていただけに2020年のコロナの感染拡大での事業停止は大きな打撃です。ラスベガスで働いてきた方々には、なんとか踏ん張ってアメリカの力を見せ続けてほしい。ラスベガスこそがエンターテイメントのメッカであり続けてほしいのです。

=========================================================2021年、2022年と時の経過とともにWithコロナということなのでしょうか、シルクドソレイユも破産申請をしている状況のようですが、様々な団体、金融機関から手を差し伸べられて、徐々に徐々に公演の回数を増やしつつあるようです。そして、アメリカは元より日本でも2023年にお台場での公演が予定されているようです。ご興味のある方はネットで検索してみてください。もう来年度のチケット予約のホームページもありそうな感じですよ。

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ラスベガスの夜景、中心に走る通りがラスベガス・ストリップという通り。裸のおねえさんがいるお店という意味ではありませんのでご注意を!David MarkによるPixabayからの画像

さてさて、以下に記載させて頂く私のブログは90年代から2005年あたりまでのラスベガスの煌びやかな町の様子・ホテル・ショー、レストランの模様を綴っていくことになります。前回は1993年のお正月に過ごしたソルバンクのことを書きましたが、今回はその一年後の1994年のお正月をラスベガスで迎えた時のことを中心に書かせて頂きます!!  

さあ、時を戻そう!1993年の大晦日のラスベガスへ!  OK,  here we go !!

私はラスベガスがとても好きなんです。訪れた回数としてはロサンゼルス以外の町では一番多くて、当時、家内からまたラスベガスに行きたいの?と愚痴が出るほどラスベガスに行っていました。

当時、私たち夫婦は1992年から95年までの3年半、ロサンゼルスで駐在生活をしていました。

家内とは、ロサンゼルス駐在中の滞在期間中は、連休や正月、夏休みなどの旅行の行先は交互に順番で決めるという約束になっていたので、私の順番が来ると私はいつも「ラスベガスでお願いします。」と言うくらい「ラスベガス」が好きだったのです。ギャンブルがしたいから行くのではなく、行けばスロットマシンくらいはやりますが、私の行く目的は各ホテルが繰り出すショー(エンターテイメント)の数々を見にでかけることでした。ニューヨークのブロードウェイのお芝居を見ることがこの上なく幸せだという方がいるかと思います。私の場合はラスベガスのショーを見る事がこの上ない幸せだったのです。

さてさて、まずは私たちが最初にラスベガスを訪れた1992年下期の頃のラスベガスのバリューはどんな感じだったかという話からいたします。92年の3月下旬にロサンゼルスに赴任して暴動に巻き込まれたお話しはしましたが、92年のラスベガスの状況はと言うと、観光客の人数が伸び悩んでいた様子でどんどん人に来てほしいという状況にありました。というのも、当時のロサンゼルスの雑誌などにラスベガスのホテルの広告が出ているのを見る度に「朝食付きの一泊のホテルの値段」がとても安いのです。なんと29.99ドルという価格になっているホテルもあったのです。私たち夫婦が最初に泊まったホテル「アラジン」ももの凄くリーズナブルだった記憶があります。またグレイドの高いホテルでもとてもリーズナブルな価格設定の広告をよく見かけました。実際に行くと、その値段に偽りはなく、その値段でホテルに一泊出来て、朝の朝食ではバイキング形式の食べ放題になっていました。また町のレストランでランチの時にアメリカンスタイルのステーキを頼んだことがあるんですが、普通の値段なのに、とんでもなくデカい肉が運ばれてきて、なんと太っ腹なホテル・町なんだ、ラスベガスは!と夫婦ともども驚嘆したのを覚えています。

最初に泊まったホテルアラジンの通り向こうにセンター・ストリップ・インという2階建ての小ぶりで古びた安いホテルがあるのを見つけて、次回からはそこで宿泊して朝はアラジンのバイキングにいくようにしました。「よくぞラスベガスの中心にこんな都合の良いホテルがあるなぁ。」と思っていましたが、やはり案の定、我々が帰国した後、何処かに買収されてしまい別の施設になってしまいました。

さてさてさて、話は93年の大晦日のベガスを訪れた時のことになりますが、93年という年は、今やラスベガスではお馴染みになっているスフィンクスとピラミッド型のホテルのあるルクソールやトレジャーアイランド、それにMGMグランドホテルが相次いでオープンしてラスベガスがカジノだけでなく、家族でやってきても大人から子供までしっかりと楽しめる施設を兼ね備えたファミリー型リゾート地へとシフトした年なのです。新しいホテルがオープンして人々の関心はとても高く続々とラスベガスに人がやってくるようになっていったのです。

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ホテル・ルクソール、このスフィンクスの後ろには黒いピラミッドの形をした宿泊施設と一階に様々なアトラクションのある本館があるのです。Erin AlderによるPixabayからの画像

その中で1993年の年の瀬の大晦日をラスベガスで過ごせたこと、そして新しい年1994年を迎えられたことは私にとっては大変ラッキーであり、一生忘れない思い出の夜となりました。確かこの旅の予約を入れたのが93年の9月か10月であり、その時点でホテルも選べるような状況だったのも今にして思うと本当にラッキーだったと思います。※なぜならば、それから数年後の1999年の年の瀬の予約は、その年の9月の時点でラスベガス中のホテルは満室でアメリカ人の中には「一泊3000ドルでもいいから部屋をくれ~!」という人も現れたそうですから。

この年の暮れの休暇は12月30日にロスからラスベガスに入り、定宿と化していたセンターストリップ・インにチェックインして、まずはホテル・ルクソールの中を見物。ルクソールはストリップ通りの端っこに建っているので歩くと結構距離があるのです。翌日の31日はMGMグランドホテルに併設されて出来上がった遊園地に足を運んで、後はスロットマシンだのルーレットをカジノで行い、そして一挙に新年を迎えるカウントダウンへ突入という計画を立てて、その通りに予定をこなしていきました。 

順調に計画をこなしており、94年のカウントダウン・イベントを数時間後に控えた12月31日の夕飯の後になって・・・。 つづく