ワシントン D.C. その② リンカーンの巻
ワシントンDCにあるポトマック公園に植えられている3000本もの桜の花は日本から寄贈されたものであると前回紹介しました。贈られた年1912年の大統領は第27代ウィリアム・ハワード・タフト大統領です。
南北戦争が終了しリンカーン大統領が暗殺されたのが1865年でした。ですので、リンカーンの時代から半世紀も経たないうちに日本の桜がポトマック公園に植えられたことになります。そう考えると、この50年という時の長さは長いのか?短いのか?
リンカーンとタフト大統領という2人の大統領の間には、 10人もの10人もの大統領がいて、それぞれがそれぞれの時代を創ってきたわけです。今でこそアメリカは50の州からなる一つの国「United States of America」になっていますが、第16代大統領であるリンカーンのその任期であった1861年~1865年においては36の州からなる国でした。1912年になってほぼ今のアメリカ合衆国の形が整ったと言えます。というのも1912年1月6日に47番目のニューメキシコ州が、同年2月14日に48番目のアリゾナ州が加わったことで北米の大陸の内の全ての州が正式に合衆国に加わったからです。
そして1959年1月3日に49番目の州、アラスカが加わり、最後に50番目にあたるハワイが同年4月21日に加わったことで、今も続く50の州からなるアメリカ合衆国が成立したわけです。
さてさて、ワシントンD.C.のポトマック公園の近くに「リンカーン記念館」があります。私は若い頃「リンカーン大統領」を尊敬していたこともあり、D.C.訪問時にはこの記念館には絶対に行くんだと思っていました。
南北戦争が終結し実質、「奴隷制度」を無くしたという功績を讃えてリンカーンが暗殺された直後から彼の記念館を創るべきだという声は起こっていたようです。しかし実際に動き出すのにはかなり時間がかかってしまいます。1911年2月にようやく議会は公式に記念館の建設を決定して、それから10年以降後の1922年5月30日にようやく完成・一般公開となったのです。
この記念館の2つの大きな壁にはリンカーンが行った2つの有名な演説の言葉が刻まれています。そのうちの一つは、南北戦争での戦没者を追悼するゲティスバーグでの式典で行った演説での「人民の、人民による、人民の為の政治」という有名な言葉です。それとそこに設置されている大きな「リンカーンの座像」がどういうものかにとても興味がありました。
私は家内と季節外れの時期に休暇を頂き、1990年代の前半にこの「記念館」を訪れることが出来ました。その日のワシントンD.C. の天候はあまり良くはなく、また平日の夕方に到着したこともあって「記念館」を訪れる人はまばらでした。リンカーン像の前には5人グループが一組いただけで彼らが記念館を去ってしまうと像の前は我々夫婦二人だけとなりました。シーンと静まりかえっている記念館の中でリンカーンの大きな座像とじっくり対面することが出来ました。その目線は正面に立っているワシントン塔の方を見つめており、我々と目線が合うことはなく、その像の大きさは彼の業績の大きさを表しているかのようでした。
白い大理石で造られたその座像の大きさは5.8メートル。像の前に立ち、実際に自分の目で見てみるとその迫力にただただ圧倒されました。
1922年に完成してその除幕式を行ったのは第29代ウォレン・G・ハーディ大統領でした。歴代の大統領たちは何人もいたわけですが「リンカーン」の記念館が出来て、「どうして自分の記念館は出来ないのだろう?」と不遜なことを思う元大統領たちはいなかったのでしょうか?こんなことを考えるのって日本人っぽすぎますかね?いや、私だけですかね?第26代の大統領は、アメリカ人で初めて「ノーベル賞」を受賞したセオドア・ルーズベルト大統領(任期:1901~1909)がいたりするので、ついついそんなことを考えてしまいました。
そして、残念ながらリンカーン大統領は暗殺された最初の大統領になってしまいます。1865年リンカーンは奥さまと観劇に出かけますが、その時訪れたフォード劇場で後ろから襲われてしまいます。瀕死の重傷を負ったリンカーンは劇場前のピーターセンハウスに移されますが、そこで息を引き取ることになります。
リンカーンが暗殺されてから100年間、この劇場は閉鎖されていました。私が訪れた際には、営業が再開された後だったので、この中に入ることが出来ました。中を案内するガイドさんに先導されて劇場の中に入ると、陽の光が結構入っていたので暗いということはなかったのですが、舞台の上は照明も点いておらず、何も置かれていない状態であり、椅子の造りもあまり頑丈そうには見えなかったので600人も収容出来る大きな劇場には見えませんでした。こちらの劇場には大変失礼なのですが、リンカーン大統領が命を落とされた劇場ということだったのでトム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」に出てくるヨーロッパ調の格式高きオペラ劇場のようなところを想像していたのですが、そうではなく、ローカル色豊かで地味な劇場でした。
リンカーンの死に関してはいろいろな本(ネットでも)でも伝えられているのですが、自分が亡くなる時の様子を予知夢の中で10日間も前に見ていたという話しがあります。しかも同じ夢を3度も見ていたというのです。つづく ※次回は、リンカーンの予知夢のつづきから書かせて頂きます!