ワシントンD.C. , リンカーン:
予知夢と幽霊と暗殺者
1865年4月14日、リンカーンはフォーストレディと出かけたフォード劇場での観劇の際に後ろから撃たれて命を落すことになります。彼は自分が死ぬことになる夢を10日も前に見ていて親しいボディガードのウィリアム・H・クルックや伝記作家のウォード・ヒル・ラモンに話していたと言います。しかも同じ夢を3度も見たのだそうです。彼は自分が見た夢のことを奥様にも話しをしていたのですが、彼女は「気のせいよ」という態度だったようなのです。
人生における重要な局面での選択。「Go」or 「Stop」、「Yes」or 「No」自分自身の決断であれ後悔はない筈!Pete LinforthによるPixabayからの画像
リンカーンの身を案じたボディガードのクルックはリンカーンに「観劇に行くことを止めては。」と進言したようです。行くのであればせめて自分に警護をさせてほしいとまで言ったようなのですが、それでも、リンカーンは「妻との約束だから。二人だけで行くよ。」と言って観劇に出かけて行ってしまいます。いつもは「おやすみ、クルック」と言うのに、その時リンカーンは「さようなら、クルック」と言ったのだそうです。(一部ウィキペディアから記載)
友人のウォード・ヒル・ラモンは伝記作家だけあって、リンカーンから「自分が襲われて亡くなっている」という奇妙な夢をみたと言われ、その内容を書き残していました。それによると、
「どこからか多くの人がすすり泣く声が聞こえてきたのでベッドを出て、部屋から部屋を歩きまわった。すべての部屋は明るかった。目にするものは見覚えのあるものばかりであった。歩きまわった末、驚きの光景を目にした。目の前に棺の安置所があり、誰かが横たわっていた。その周りには兵士たちが立っており、周りの人達は悲しみの中、涙を流していた。私は『誰がなくなったのかな?』と兵士の一人に尋ねると「大統領です。暗殺者に殺されました。」と答えたというのです。
ボディガードのクルックがリンカーンに観劇に行くことを止めるように言いましたが、「妻との約束だから・・」ということで観劇に行ってしまうのですが、ここには一つある事情があったようです。リンカーン大統領ご夫婦には4人のお子さんがいました。暗殺のあった1865年時点で、実は次男のエドワード君(3歳)と三男のウィリー君(11歳)という二人の息子さんを病気で亡くされているのです。奥様のメアリーさんは一番可愛がっていたウィリー君を失い彼女が精神的にかなり落胆していたこともあり、リンカーンはそんな奥さんのことを気にかけていたようです。ですから彼女を元気づけたいという想いから観劇をすることにしていたのだとすると、リンカーン大統領の行いには強く頷けるところがあります。
そして、この夢ですが、これは私の勝手な想像なのですが、次男と三男という先に亡くなられた二人の息子さんたちが父リンカーンに警告として、この夢を見させていたのではないかと思ってしまいます。あくまで私の勝手な想像です。
彼が亡くなった後、ホワイトハウスの関係者からリンカーンの霊が出るという話しが聞こえてくるようになったそうです。いろいろな人がドアを叩く音を聞いたり、リンカーンの気配を感じているようなのですが、実際に彼の霊を見たと最初に報告したのは第30代大統領夫人のグレース・クーリッジ夫人で窓からポトマック川を見ているリンカーンの姿を見たというのです。その他にもセオドア・ルーズベルト大統領、レーガン大統領の娘さんご夫婦、フランクリン・ルーズベルト大統領のスタッフ、ウィンストン・チャーチル元イギリス首相ご自身などなど。Wikipediaによると一番有名なのは1942年にオランダのウルヘルミナ女王が寝室の外から足音が聞こえて部屋のドアをノックする音がするので開けてみたらフロックコートとシルクハット姿のリンカーンが立っていたといい、その姿を見た女王は気絶してしまったとのこと。
最後にリンカーンの幽霊の目撃されたのは1980年代の初頭で階段最上部にある椅子に腰かけていた姿が目撃されたとのこと。
もしもこれらの目撃談が本当でリンカーン氏が幽霊としてこの世に留まっていたとするならば、生前あれだけ偉大な人物だったリンカーン氏は何故に幽霊として人々の前に現れるのでしょう?しかも、セオドア・ルーズベルト元大統領やチャーチルイギリス元首相といった歴史上に名を残している人物の前にも現れていたというのに彼らに現世に役立つメッセージを伝える事もなくニコッとして消えてしまっただけだとしたならば、どうして二人の前に現れたでしょうか?また大統領経験者はリンカーン以外にも30名以上は亡くなられているのにどうしてリンカーンだけが幽霊として頻繁に現れるのでしょうか?何故なのでしょうか?分かりません。
さて、今度は大統領の暗殺をした犯人とはどういう人物だったのかという視点から話しをさせて下さい。大統領の暗殺事件としてもう一人有名な大統領といえばジョン・F・ケネディ大統領ですが、彼は1963年11月22日にやはり何者かによって銃で撃たれて暗殺されてしまいます。真犯人ではないかと思われている人物はいるのですが、その彼は銃殺により命を落しているので本人から事の真偽のほどを確かめることは出来ませんでした。
では、リンカーン大統領の暗殺の場合はどうだったのでしょうか?実際の所「リンカーン大統領・暗殺の謎」というような特集記事はあまり聞いたことがありません。それというのも、真犯人が誰であり、暗殺したその理由も明らかになっているからであり、そもそも「謎」という部分がないのです。
リンカーンを後ろから撃った人物、つまり真犯人はジョン・ウィルクル・ブースという人物です。共犯者もいましたが人々の記憶に残っているのは実際に手をくだしたブースという人物ということになります。このブースなる人物、暗殺が行われたフォード劇場の舞台に立ったことのある実は俳優だったのです。ですからこの劇場には役者として出入りしていたこともあり、暗殺実行日も「顔パス」状態で劇場の中に入り、リンカーン夫妻が座っている席にも容易に近づいていき、観覧中の大統領のうしろから銃を発砲しているのです。もしこの日、リンカーンが観劇しなかったとしたら。もしもボディガードのクルックが警護をしていて大統領の観覧している部屋のドアの前に立っていたとしたら・・・。運命は変わっていたのかもしれません。暗殺を行ったブースが実行に及んだ理由ですが、ようやく終焉を迎えた南北戦争の結果に不満を持ち南部連合の指示者であったブースは「リンカーンは、このままいけば共和制を廃止して、専制君主になる可能性がある。」と危惧し、それを阻止せんが為に銃の引き金を引いたわけです。
この日自らの意思というか、体調のせいで、観劇に行くことをとり止めにした人物がいます。誰かといいますとリンカーン大統領夫妻の長男、ロバート・トッド・リンカーン氏です。当時、彼は22歳。軍の仕事についており、本当に当日は疲れており「少し休みたい。」という理由で観劇には行かなかったのだそうです。彼は4兄弟の中では一番の長生きで82歳までご存命でした。1922年の「リンカーン記念館」の序幕式の式典に彼は参加出来たということです。
つづく