マリリン・モンローを最も愛した男性とは?
自然が溢れていて穏やかに時が流れているとても空気がおいしい島、カタリナ島。ネットでこの島の紹介記事をググってみると「マリリン・モンローが新婚旅行で訪れた島」と紹介しているものが結構あります。確かにあのマリリン・モンローが新婚旅行先に選ぶのだから「どんな所なんだろう?」と思わせるにはとても良いアイキャッチになるフレーズですよね。でも本当に新婚旅行で訪れていたのでしょうか?
私はマリリン・モンローの大ファンではないので、それほど彼女について詳しくはないのですが、彼女のことを愛した男性たちがどうして彼女のことを好きになってしまったのかという点にはとても興味があります。マリリン・モンローは36歳という若さでその人生を閉じてしまうのですが、決して長いとは言えない人生の中で3度結婚をしています。 マリリン・モンローは、幼くして両親が離婚してしまったので最初の名前をノーマ・ジーン・モーティンソンと言います。そして、経済的理由からなのか母親は彼女を孤児院に預けてしまいます。決して恵まれた幼少時代を過ごしたとは言えないマリリン。それゆえなのか、おそらく温かい家庭に憧れていたのでしょう、彼女は知り合いからの薦めもあり16歳という若さで最初の結婚をします。最初の旦那さんはジェームズ・ドハティといってロッキード航空製造会社に勤める行員でした。そして、彼の勤務地がカタリナ島にある海軍の基地になったことから彼女自身も2年間、カタリナ島で暮らすことになったのです。 以前、日本のテレビで彼女のドキュメンタリー番組を見たことがあります。この最初の結婚をした頃の彼女は実にあどけなくてマリリン・モンローになる前のノーマ・ジーンという一人の極普通の若い女性でした。カタリナ島で暮らしていたのは彼女が16歳から18歳の間でかなり多感な時期だと思います。この島は自然が溢れていて素敵な所ではあるけれど、周りは海に囲まれていて、今のようにインターネットなどはない時代ですから、情報もスムーズには入ってこなかったでしょう。ましてや外の世界に興味がある女性ならば、その閉鎖された世界はかなりもの足りないものだったに違いありません。そういう訳で、やはりというべきなのか、彼女はモデル・女優を目指す道を目指すことになります。モデルでの仕事でその存在感を徐々にアピールしはじめ、ついに20世紀フォックスと契約、そして、ジェームズ・ドハティとは20歳の時に正式に離婚します。そして名前もノーマ・ジーンからマリリン・モンローへと変えて新たなスタートをきったのです。 本格的に女優を目指してから7年という月日を費やして漸く27歳で映画「ナイアガラ」で初主演を果たします。続いて「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」などの主演映画が公開されていよいよハリウッドの人気女優に登りつめていき押しも押される大女優になったわけです。 そして、2度目の結婚をヤンキースで活躍をした元野球選手ジョー・ディマジオと28歳の時にします。彼らの新婚旅行は "日本” だったそうですが、当時はアメリカ大リーグの大選手であっても、日本の人々には彼が大活躍した情報はほとんど入ってきておらず、ハリウッド女優のマリリン・モンローの方が断然に知名度が高かったが故に、日本に滞在している間に行われた「記者会見」もマリリン一人が持て囃されることとなりジョー・ディマジオとしてはかなりプライドが傷つけられたようです。 マリリンは、アメリカに戻るとビリー・ワイルダーが監督をする新作映画の撮影に入ります。それは彼女の代表的なポーズとして有名になった「七年目の浮気」の中の地下鉄の地下から吹いてくる風によってマリリンのスカートがふわっとめくれ上がってしまいキレイな足が露わになるというあの有名なシーンなのですが、映画の撮影ですから監督が欲しい映像が撮れるまで何度でも取り直しをするのが普通なわけですが、あのシーンも監督は何度も何度も撮影したそうです。するとその撮影現場にいたジョー・ディマジオは、自分の愛する妻が大勢の人の前でスカートがめくれて足を見せるというシーンを何度も何度も見せられて、相当頭に血が上ってしまったようで、撮影後、自宅でマリリンに激怒してしまい、それが原因で二人は離婚することになっていきます。私思いますに、簡単にいえば、これは「嫉妬」ですよね「嫉妬」。それだけジョー・ディマジオは彼女のことが大好きだったのだと思います。その感情が強すぎてもはやコントロールが効かないようになっていたのかもしれません。彼らの結婚生活は、僅か9ケ月しか続きませんでした。 そして、マリリンは30歳の時に劇作家のアーサー・ミラーと3度目の結婚をします。しかし、彼女は段々と精神が不安定になっていきます。その後、ケネディー大統領と不倫の関係になり(?)、アーサー・ミラーとも35歳の時に離婚してしまいます。本当かどうかは分かりませんが、マリリンはジョン・F・ケネディの弟のロバートとも関係があったとも言われています(?)。この頃の彼女はかなり精神的に脆い状況に陥っており、そんな彼女に寄り添い支えていたのは、2度目の結婚相手だったジョー・ディマジオでした。そして、ジョー・ディマジオだけでなく、マリリンも彼と再婚をしたいと友人に漏らしていたという情報もあるようです。ジョー・ディマジオは「彼女が死ななければプロポーズをしていた。」と後に語っています。ジョー・ディマジオとしてはマリリンの気持ちが自分と同じであることは確信していたこともあり、警察が発表している「自殺」などはありえないことで、誰かの「陰謀」により殺された、その黒幕は「ロバート・ケネディ」に違いないと考えていたようです。 そもそもマリリン・モンローをジョン・F・ケネディーに紹介をしたのはフランク・シナトラでした。彼はマフィアと繋がりがあり、マフィアの撲滅に動こうとしていたジョン・F・ケネディーからすると厄介な関係が発生していくことになります。この辺りの関係は、ネット上の記事や様々な書物で解説されていますが、今となってはどれが本当でどれが偽りなのか、本当のところは謎となってしまっています。 ただマリリン・モンローが死んでしまったということは事実であって、その死んでしまって女性のことを、その死後もずぅ~と想い続けたジョー・ディマジオという男性の生き様に同じ男としてとても興味があります。(彼はモンローと出会う前に一度、結婚して離婚経験があります。) ジョー・ディマジオのマリリンに対する愛情に関する逸話があります。ご結婚なさっている殿方の皆さん、次なる彼の行為をマネすることが出来ますか? 彼はマリリン・モンローが亡くなってから生涯独身を貫き通します。そして、20年間、週に3回、彼女のお墓に赤いバラを送り続けたのだそうです。マリリンが亡くなった時、ジョー・ディマジオは48歳でした。彼が肺がんで亡くなったのが85歳ですから、マリリンの死後37年間、彼女をひたすら愛し続けていたことになります。 亡くなる前に近しい友人に語った最後の言葉は「死んだら、マリリンのところへ行ける。」だったそうです。男の人生として、これだけ好きになれる女性に巡りあえて、9ケ月とは言え、一度は彼女を伴侶に出来て、死ぬまで思い続けられたのだから彼は男としてとても幸せだったのではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか? ※もしよろしければ「読者」になって頂けないでしょうか?書き続ける励みになりますので。プロフィールの箇所に「+読者になる」ボタンがありますのでよろしければ押して頂けますと幸いです!またご意見・疑問点などあれば遠慮なくコメントをお寄せください。よろしくお願いいたします!