一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

LAで暮している間にやっておけばよかったと後悔していること【再掲出91】              

LAで暮している間にやっておけばよかったと後悔していること!!

ずっと私のブログにお付き合いを頂いている方は私が1992年から95年の間にロサンゼルスに駐在していたということを何回も聞かされていて「もう分かっているから」という方もいらっしゃると思います。我ながら既に29年以上も前のことを思い出しつつよくもまぁ90を越えるブログを書いてきたなぁと思います。

さて、今日は時を戻すこと40年前!私が予備校の生徒だった頃の事を思い出してみましょう!

その日は予備校で古文の授業がありました。前の晩は遅くまで勉強をしていた為に朝起きるのが大変でした。朝、寝ぼけまなこで家を出たのですが、家を出る間際に腕時計を探したのですが、どうしても見つけることが出来ずに、寝ぼけていたこともあり「これでいいや」目覚まし時計をボストンバックに詰めて予備校に向かいました。

授業前ぎりぎりのタイミングで教室に入ったので空いている席も教室のど真ん中しかなくて、仕方なく五人がけの真ん中の席、左右の二人はみんな女子生徒でした。その日の教室は結構大き目の教室でおそらく200名くらいは座っていたと思います。

授業が始まってから、ほどなくして、その事件は起こってしまいました。

20分位経った頃でしょうか?まだ授業は前半にも関わらず、どこからかベルが鳴りだしたのです。なんだか音が思いっきり籠っていて鳴っているのだけれども、隣の教室で鳴っているベルが聞こえてきているような感覚だったのです。籠っているので直接に先生の授業の妨げにはなっていなかったものの、その先生も「うん、なんだ?」とその音に気づいて「まだ授業、はじまったばかりなのになぁ。終わりのベルにしちゃ早いなぁ、どうしたんだ?」とマイクを通して言ったりしており、教室中の生徒たちも確かにどかこかでベルがなっているけれども?うん、どこだ?といった感じになっていました。私も「なんだよ、この音は?」と思っていたのですが、よくよくその音の出所を探ってみると、それは自分の近くでしているように思えてきました。「うん、どうした?」と思ったのです。「うん、まさか?」、そうです、次の瞬間、私は気づいてしまったのです。案の定です!その音は私の足元に置かれたボストンバックの中からしておりました。朝、慌てて詰め込んだ「目覚まし時計」がバックの中で大音量で鳴り響いているではありませんか。「うっ、やってしもうた」とぎょっとしましたが、もう後の祭りです。バックに手を伸ばしてチャックを開けました。開けた途端「音」がデカくなりました。そして、めざまし時計のボタンをポチっと押したら、ベルは止まり、静かになりました。まわりの生徒たちから大爆笑が起こっておりました。先生は「ハイ、ベルは止まったからね、正式なベルがなるまで授業をやるよ!」と言われて、まさに真犯人の私は「穴があったら入りたい」状態になりました。予備校だから知らない生徒ばかりなので余計恥ずかしくて、ましてやその日の両隣は女子生徒であり、その子たちからもめくすくすと笑われてしまい、その日は急いで帰って、落ち込んだまま銭湯に行き、頭まで潜って目いっぱい落ち込んだ気落ちををほぐしたのを覚えています。

=======================================

そんなことがあった頃の話です。別の授業、英語の先生から言われことが頭に残っています。時は1980年。先生はこんなことを言いました。

 

「今、みなさんは私の英語の授業を受けてくれています。それは私にとってとてもありがたいことです。世の中も英語が出来る人材を求めています。」

 

この後にその先生が言った事を「私はもっと強く意識しておけばよかった」と今でも思っています。

 

「しかしなのです、おそらく、後20年もすると英語を話すことがもう当たり前の世の中になってしまうでしょう。そして、英語以外の言語をもう一つマスターしておいた方が良いという時代がやってくると私は思っています。受験勉強をしている皆さんには今、その余裕はないかもしれませんが、余裕が出来た時、この事を思い出して是非チャレンジしてください。」

 

その後は、こつこつと英語を学んでいき予備校に通っていた時代から数えると12年後に何とかロサンゼルス駐在員になれるレベルまでの英語力を身に付けることが出来ました。ロサンゼルス現地でも仕事では日々英語を使用していたので、その頃が一番英語力があったことは間違いありません。そして、その頃、予備校の先生から聞いた「英語以外の言語をもう一つ習得しなさい!」という言葉が頭をよぎるようになりました。

その頃、私の回りにはなぜか日本語を話す「韓国」の方々がいて「そうだ、彼らのうちの誰かに『韓国語』を教えてもらおう」と思ったのです。家内にそのことを伝えると「どうして韓国語なの?」と言われました。

月に一回は必ず仕事で訪れている銀行の担当者であり、私のアパートの真向いのアパートに暮らすソンさんに教えてもらえるようにお願いをしてみようと思い、実際、会った時に「韓国語を教えてもらえませんか?、もちろん、授業料をお支払いしますので。」とお願いしてみたのです。すると彼の回答は「基本的に日本人と韓国人は仲が良くないのよ。だから韓国の言葉なんて学んでも何の役にも立たないよ。」と簡単にたしなめられてしまいました。そして、私も簡単に「そうかぁ。」と納得してしまったのです。

f:id:TakTakaoka:20201129110531j:plain

Pintera StudioによるPixabayからの画像

今、この事をとても後悔しています。あれだけロサンゼルスに韓国人がいて、韓国語を教えてくれる教室も結構あったのに、なぜにソンさんに「習っても仕方ないよ」と言われただけで簡単にあきらめてしまったのか?予備校の先生は近い将来、英語を話すのは当たり前になりもう一か国語を話せた方がいい世の中になると親切心から言ってくれていたのを聞いていたにも関わらず、私は先生の教えを軽んじてしまった。その事をとても後悔しているのです。韓国語を学ぶことを簡単にあきらめてしまった90年代前半から10年後です、日本に「冬のソナタ」による韓流ブームが起りました。

恩師が皆さんの為を思って言ってくれた言葉というものがある筈です。是非、今一度、思い起こしてください。そして、自分で納得出来る言葉があるとしたら、その教えを大事にして実践してください。私のように後悔しないように、是非、実行してください。お願いします!