一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

『好きを仕事にしてしまった私の場合』【夢を追うと決めたからには】005会社を辞める=無職/無色になること!      

【 夢を追うと決めたからには 】

005 会社を辞める=無職/無色になること!

前回からの続きとなります! 

自分のすぐ上の上司からアニメーションという映像の世界で働く道の話しを切り出された時は、確かに私の心は揺らぎました。

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hudsoncraftedによるPixabayからの画像

※ 以下に書くお話しは、今からもう37年も前のことになります。今(2021年)とは様々な面で「仕事に関する考え方・状況」が違います。何せ昭和60年代初頭のお話しですからまだ世の中に「年功序列」「終身雇用」という制度が普通に考えられていた時代です。

今総務部の仕事を一生懸命に行い、時期が来た時に「転部願い」を人事に出すということも十分にありえる。「それが日本の会社だ」という思いも湧きました。また一方で

「会社はお遊びクラブではない。いくら希望したって『転部』が叶うという保証はない」

その頃の私の頭の中は「映画・映像関係」の仕事がしたいというかなり大雑把な考えで占められており、今振り返ると「どうしてそんなに自信があるんだよ?」と言いたくなります。生半可な計画しか思い浮かんでいなかったですから。自分が将来行うのは「英語」を使用する仕事に違いない、いや、「絶対にそうでなければ困るのです」と勝手に思っていました。それも「映画」は「映画」でも「外国映画の輸入」業務に携わってみたい。とにかくその仕事にどうしたら就けるのか調べながらの挑戦となっていきました。

「アニメーション」は「映像関係の仕事だろう」と言われても、自分自身が取り組みたいものではなく、私にとっては会社に残ってでもやりたい仕事ではなかったのです。

それと、今、会社を辞めて「英語の基礎力固め」に力を注がないと英語力は今のレベルのまま一生過ごすことになり、自分が思い描いている「英語を使うキャリア」への道の門は閉ざされてしまうというある種の恐怖感すら感じていました。

従って、やはり「会社を辞める」という気持ちは変わらず、すぐ上の先輩上司に「やはり会社を辞めさせて下さい」とお願いをして、それが部長に伝わり、部長からも意思確認があり、私は入社から一年にも満たない中で最初に勤めた「会社」を退社することになったのであります。

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そして翌月から「無職」とよばれる「人間」になってしまいました。よくテレビのニュースで犯人が捕まったりすると「住所不定・無職の〇〇容疑者は・・」という風に紹介されますよね。さすがに当時の私は住所は定まってはいましたが区役所の書類などに「無職」と書く時は何だかかなり抵抗感がありました。何にも悪いことなどしていないのに「無職」だなんて・・。

大学生の頃は「学生です」と何も考えずにすっと言えていたのに、あれからそれほど年が経っているわけでもないのに「無職です」と口にするのにこんなにも抵抗感があり、気が進まないことだとは思いもしませんでした。

「肩書」が「学生」から「会社員」になった時、別段何も感じることがなかったのに「会社員」から「無職」という肩書になった瞬間、自分という人間の価値が急に無くなってしまったかのような「変な感覚」が心に湧き上がってました。何なのでしょうか、あの寂しさは。人生が終わったわけでもないのに・・・。

(※私はその後の人生でも何度か「無職」を経験することになるのですが、これが最初の「無職」体験となりました)

ですから、仕事を尋ねられた時に口では「むしょく」ですと答えていましたが、自分の中では「無色」という意味あいで「むしょくです!」と答えていました。

「もはや子供ではないし、学生でもない」だからといって成熟したりっぱな社会人でもない。何とも中途半端な人間だなぁとは思いました。決して胸を張って人に自慢出来るような状況ではないのだなぁ、と。でも。 

俺はまだまだこれからなんじゃい!」

という内なる声だけは沸々と自分の中に鳴り響いていました!そう、まだ何色にも染まっていない無色の自分だからこそ、これから自分の希望する色で自分の人生をうま~く染めていける、そんな素敵で輝かしい状況の中にいるのだと無理やり自分を納得させて気持ちを意識的にポジティブにしていたことを覚えています。

「お兄さんは何をしている人なの?」

と尋ねられた際には胸を張って

「はい、まだむしょくでございます!」という意味合いで「無色です!」とにこやかに言い放つ事に決めたのです!!