一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 015              

3.暴動、その後  (のつづき)

 ナショナルガードの兵士が6000人も動員されているというのに、テレビを見る限りでは一向にこの騒ぎが治まる気配は感じられませんでした。

家内は精神的な疲れからかその日は11時前にはもう床に就いていました。日付が変わった5月1日の午前零時の時点での死者の数は25名、負傷者572名、数百人が逮捕されたとのことでした。

 暴動2日目の深夜帯のテレビ放送は、前日とはまったく様相を変えていました。深夜2時になると全局が放送を終了させました。おそらく市民をいたずらに刺激、動揺させないようにとの判断からそういう処置が取られたのだと思います。

何時間にも渡って過激なシーンを見続けていたせいか、段々その過激さに慣れてしまい何も映し出さなくなったテレビに物足りなさを感じてしまい「もっと凄いシーンを映し出してくれよ。」と思っている自分にハッとして過激な映像の持つ中毒性に怖さを覚えました。

消灯令、外出禁止令は出されたままで、今夜も依然としてパトカー、消防車、それにヘリコプターの音がひっきりなしに聞こえてきて寝苦しい夜になるのだろうと思いつつ寝床についたのは深夜の3時過ぎでした。

翌5月1日の朝。7時15分にブッシュ大統領が特殊部隊の増員を発表していました。確かに、この日外に出かけてみると町中に立っている兵士たちの姿は目に見えて多くなってきていました。

事件の発端となったロドニー・キング氏がテレビカメラの前に立って物凄い数のレポーター達に囲まれて涙ながらに「こんなことは止めるべきだ。これは正しいことではない。こんなことをしても何も変わらない。」と呼び掛けていましたが、その姿は妙に痛々しげでした。暴動3日目のテレビ報道はいたって控えめな内容になっていました。

様々な政策がようやく功を奏してきたらしく、この日の午後からようやく沈静化の兆しが見えてきました。この頃からでしょうか、我々夫婦の緊張感も少しづつ和らぎだして表情もやっと穏やかさを取り戻してきました。

この後は時とともに暴動も次第に静まり終息に向かいだしましたが、ただ町のあちらこちらに出来てしまった放火の焼け跡は、すべてが元通りになるには、かなり時間がかかるのだろうなぁと感じました。

暴動が起こったこの町、ロサンゼルス。この町の中には映画の都であるハリウッドもある訳なのですが、暴動が続いていたこの3日間はハリウッドがすぐそばにある町とは到底思えませんでした。 と言うか 

「ハリウッドって一体どこにあるの?と言うかそもそもハリウッドって何?確かに山の斜面にはHOLLYWOODという大きな文字はあるのだけれど。」

およそ3日間、かなり長時間に渡ってテレビを見ていたけれども「ハリウッドがどうしたこうした」という報道はなかったように思えたのだが、気のせいだろうか?何か大きく取り上げられたことがあったのだろうか?

それとビバリーヒルズ。言わずと知れた超高級住宅街。ここに暴徒が押し入ったといったというニュースも聞こえてはきませんでした。(私がカバーしきれなかっただけかもしれませんが・・・)

 

4.やってきたぜ、ハリウッドだぜ!! 

暴動が治まり2週間もすると、町のあちらこちらに黒く焼け焦げたビルの残骸が残ってはいるものの市民の生活はほぼ元の平穏な状態に戻っていきました。

ロサンゼルスでの生活を楽しみに赴任してきた訳ですが、暴動でその出鼻をくじかれはしたものの、その後は週末の土曜日・日曜日になるとミーハーな私としては家内を連れ立ってにロサンゼルス・ハリウッドの名所巡りをスタートさせました。

ロサンゼルスは、大スターが高級車でレストランに乗り付けるかと思えば、片や一方では道路の端あるいは中央分離帯にホームレスがいて物乞いをしている姿を町の至るところで目にしました。玉石混交とでも言いましょうか、陰と陽の部分がこれほどまでに著じるしく混じりあっている町だとは日本にいる時には思ってもみませんでした。

LA暴動を体験してしまったので日本から抱いてきたイメージは、すでに壊れてはいましたが、プライベートで映画の大ファンである私としては映画に関係のある観光スポットに行くと、すぐにそのスポットの魅力の虜になってしまいました。

 

チャイニーズ・シアター

日本から買い込んできていたロサンゼルスの観光ガイドの本を見ながらの観光スポット巡りですが、まずは年間200万人もの人が訪れるチャイニーズシアターへ。この劇場が創設されたのは1927年の春。女優のノーマ・タルマッジが劇場前のまだ乾ききっていなかったセメント部分に誤って思わず足を踏み入れてしまったのを創立者のシド・グローマンが見ていて彼の即席のアイデアによって劇場前のコンクリートの床にスターのサインと手形が刻み込まれるようになったのだという説を聞いていたのですが、どうもノーマ・タルマッジよりも先に創設者ご本人のシド・グローマンさんの方が先に足を突っ込んでしまった方が正しいようです(?)。そんな偶然が引き起こしたアイデアによりチャイニーズシアターは今や世界中の人が集まる観光名所になっている訳ですから一人の人間の一瞬の閃きが歴史的な財産を残すキッカケになることを知ってとても感銘を受けました。

観光の場合、スター達の手形を目当てにここを訪れる人たちは多いと思いますが、もし時間があればアール・デコ建築のこの建物の中のメインの劇場で映画を鑑賞して頂きたいですね。劇場内の天井から壁に至るまで中国風の荘厳な造りになっていて日本の劇場とはひと味もふた味も違う雰囲気の中で映画を味わうことが出来ると思います。

がロスで生活しはじめた頃、ここは「マンズ・チャイニーズ・シアター」と呼ばれていました。当時、劇場をチェーン展開してたマン・シアターズのオーナーのテッド・マン氏が1973年に買収したことによってそう呼ばれた出した訳で、だからその頃のスターの手形に添えられている短い文章の宛て名が「テッドへ」となっている訳です。

しかし、後年マン・シアターズが倒産することになり、以後はパラマウントとワーナーが共同で所有権を有する事になり2002年には「グローマンズ・チャイニーズ・シアター」という名称に変更されました。更に2013年1月、チャイニーズ・シアターは中国の大手電子機器メーカーのTCL(The Creative Life) 集団と10年間にわたる命名権パートナーシップ契約を結んだことにより2020年春の時点での正式名称は「TCLチャイニーズ・シアター」となっています。

 つづく