一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 006              

3.コリアンのジェイ先生(のつづき)

 その後の連日の教習においてもジェイ先生の手厳しさは相変わらずでしたが、ただその厳しさはドライバーの身の安全を守りたいという気持ちの現れなのだと段々と分かってきました。先生のその方針というか、生徒が不要な事故に遭わないようにするという強い信念から厳しくしてくれているということが分かり、素直に先生の言葉に従うようになっていきました。 私の運転が上達していくにつれてジェイ先生の口うるささも徐々に少なくなっていきました。そして、いよいよ最後の授業となったその日、ジェイ先生が突拍子もない質問をぶつけてきました。

 ロサンゼルスでの運転免許試験を受ける準備をジェイ先生がしてくれていたのですが、最後の授業では実施試験で走るコースを実際に一度体験しておこうということで、私は真剣にスピードの出し方や曲がり方に気を付けながら最後の授業をこなしていきました。しかし、先生はいつもの殺気というものがなく、どことなく力が抜けている感じが漂っていました。

ウィルトンという通りを北上して横に走るウィルシャー通りに近づいてきた辺りで「高岡さん、正面のショッピングモールの中に『くいしんぼう』という日本食レストランがありますね?」と話しかけてきました。私はてっきりそのモールの駐車場に車を停めるように指示されるのかと思ったのですが、

 「『くいしんぼう』というのはどういう意味ですか?『くい』というのは『Eat』で食べること でしょ?『辛抱』というのは『我慢する』ことですよね? するとこの『くいしんぼう』の意味というのは食べて食べてお腹がいっぱいになっても辛抱して食べ続けなければならい!という意味ですよね。だとするととんでもないお店ですね?」と言ってきたのです。

私は可笑しくて吹き出しそうになるのを必死に堪えていました。ハンドルを握る手が小刻みに震えていたのを覚えています。その後、私なりに「くいしんぼう」の意味を伝えたのですがジェイ先生は納得していないようでした。

ロスでの運転免許の試験には珍しく一度で合格出来ましたし、その後、日本に帰国した後も、無事に無事故無違反でい続けられているのもジェイ先生の厳しい教えがあったればこそだと今ではとても感謝しています。

 

4.新居はパーク・ラブレア!

10日間ほどウィークリーアパートメント暮らしだった我々夫婦もこれから3年間、ロサンゼルスで生活していく訳なので早いところ新しく住む場所も決めなければなりません。先輩の知り合いからパーク・ラブレアというところが良いのではないかとのアドバイスを頂きました。そこはサードストリートとラブレラ通りが交差しロサンゼルスのほぼ中央に位置する場所にありパークという名前がついているだけあってかなり敷地が広く、どこに行くにも交通の便は良さそうだったので「ここはもしかして住むのにとてもいい場所なのでは?!」と感じ、早速、連絡をいれて夫婦して空いている部屋を見せてもらうことにしました。

ってみると広大な敷地のまわりには少し高い柵が張り巡らされていて中に入るのにはしっかりとセキュリティのゲートがあり、そこで係員のチェックを受けなければなりません。そのゲートを通過して中に入ると、ここは高島平団地?それとも草加松原団地?というような雰囲気?日本の団地よりも建物と建物の間隔はかなり余裕をもって建てられていました。13階建ての高層のアパートメントが数多く20棟?はあったでしょうか?そのまわりには2階建ての住居群が敷地の外郭の柵にそって、その手前に数多く建てられていました。パーク内の随所にある広い中庭には美しい花々や綺麗に手入れがされた樹木が植えられていて、静寂さの中にも明るい雰囲気と穏やかな太陽の光が注いでおり、いやはや、これぞ正にカリフォルニアといって感じでした。

事前に電話で予約していたのでレンタルオフィスの受付には我々を案内してくれる女性スタッフがすでに待ってくれていました。ふくよかなアメリカの母とでも呼べそうなタイプのその女性からすぐに彼女の車に乗るように促されて、まずは敷地内の候補の部屋を回って中を見学するといくことになりました。

ロサンゼルスのほぼ真ん中にこんな広々とした住居空間が存在していたなんて思いもしませんでした!

まずは2階建ての低層住宅を見せてくれて、その後に13階建ての高層団地風アパートへ。こちらは候補が2つほどあり、2つとも同じタイプの部屋だったので、その一つの中を見せてもらいました。2LDKといってもやっぱりアメリカは部屋の造りというか広さが全然違いました。リビングの大きさも日本の16畳くらいは優にあるし。問題はお家賃でしたが、会社負担で賄いきれない分は自分のお給料からの一部と合わせれば月々何とかぎりぎり払っていけそうだったのと、立地的にどこにいくにも便利そうだということ、それに日本人としてはセキュリティが24時間しっかりとしているというのは高得点だったので、1992年3月下旬、夫婦してその13階建て高層ビルの8階の部屋を借りることをその日のうちに決めてしまいました。その翌日にはもう契約の話になっており、賃貸の英文契約書が準備されていましたが、仕事で英文契約書を扱っていたのでそれほど苦労することなく住宅の賃貸契約書の方も自分で結ぶことが出来ました。以前はチンプンカンプンだった英文契約書も苦労して読めるようになっていた御かげで助かりました。※2020年現在のレンタル料金を調べてみたのですが、敷地内の建物の立て直しや外壁の修繕などが行われた為、お家賃は上がっていました。今、ロサンゼルスに行ったらもはや私のお給料では借りること出来ないと思います。

雰囲気が良いだけでラブレアに住むことを決めてしまった訳ですが、後から現地で知り合いになった人から「あそこは築50年経過しているよ、大丈夫?」などという情報が耳に入ってきました。1934年に行われたロサンゼルスオリンピックの時に選手村として建てられた場所なのだという人もいて、なるほどとは思いましたが、それらの情報も契約を結んだ後に聞かされたことなので、もう腹をくくって13階建ての8階で楽しく暮らしていくことに決めたのでした。

 つづく

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