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【英語/映画/旅行好きの方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 014ロサンゼルス暴動の眠れぬ夜              

1.ロサンゼルス暴動の眠れぬ夜(のつづき)

  買い物を済ませてパーク・ラブレアのアパートに戻りましたが車のボンネットの上には空から降ってくる細かい灰が積もっていました。駐車場から自分の棟に帰る途中、仕事を通じて知り合いになったばかりの韓国人の孫さんと偶然ばったりそこで会い、会話をすることになりました。

彼は日系の銀行に勤めていて、小柄で細身で、すでに還暦を過ぎている日本語が達者で実に人当りの良い人でした。偶然にも私の会社の担当者で、私はこれから月に一回の割合で彼の銀行に行って入出金などの手続きをすることになるので、まさにこれからお世話になる方でした。

パーク・ラブレアに住むことが決まったことを話した時も「何んという偶然でしょうね。私もパーク・ラブレアに住んでいるんですよ。ご近所さんになりますね。何か困ることがあったらいつでも電話してください。」と親切に言ってくれていました。いつもにこやかで穏やかな表情をしている印象の孫さんの顔色がその日は妙に曇っていました。こちらから尋ねた訳ではありませんが、彼の口からその原因が語られました。

「コリアンタウンにある私の弟が経営するスーパーが被害にあって全焼してしまったんです。」

 

2.なぜに暴動は起こったのか?

パークラブレアの中にいて安全だという安心感からなのか孫さんと長く立ち話をしてしまいました。そして、沈痛な面持ちの孫さんが、とくとくと暴動が起こるに至った経緯を話してくれました。

以下は孫さんの話に、より詳しい内容をかなり加味してお伝えをいたします。

繰り返し流れていたニュースの中の映像。4,5人の白人警察官により暴行を受けていたようにみえた黒人はパートタイマーとしてドジャーズ・スタジアムでグランドキーパーをしていたロドニー・キング、25歳。

1991年3月3日の深夜零時過ぎにサンバレーのフットヒルフリーウェイで彼ロドニー・キングは飲酒しながら友人を乗せて車を走らせていた。その背後にはハイウェイパトロールカーがぴったりとつき赤いライトを点燈させました。彼は2度窃盗犯として前科がありその赤いライトに気が動転してしまったらしくパニック状態となり、車のスピードをどんどんと上げて暴走し始めてしまいました。するとハイウェイパトロールも彼の車を追うことになり2台はカーチェイス状態となってしまいます。フリーウェイを降りるとロス市警のパトカーも加わりしばらくそのカーチェイスは続き、そして、ついに彼の車が止まります。車から降りてきた彼は武装しているかのような手つきをして警察官達に危害を加える危険人物のような印象を与えたようです。それが故に警察官たちは彼に応戦して殴る蹴るの暴行を加えることになったというのが警察側の見解でした。

しかしながら、その様子を近くのアパートの住人が目撃をしていました。その住人の証言では「キング氏はその時、実に神妙な面持ちで警察官の命令に素直に従い、ゆっくりと車から降りると命令通りに地面に横になった。」というものでした。またこの様子をビデオカメラに収めていた住民がおり、後にこのビデオテープの内容がニュース番組で取り上げられるや全米中の注目の的となり、テープを見た人のほとんどが警察当局側のやり方は行き過ぎとの感想を持ちました。

それゆえに、その後、ロス市警への不信感は膨らんでいき、特に黒人たちの不信感はつのるばかりでした。そして、この事件から1年と1ケ月が経った1992年4月29日にキング氏を殴打した警察官達の裁判の判決が下されました。殴打したとされる警察官たちへの判決内容は「無罪」というものでした。この判決が出された午後4時過ぎにテレビやラジオが一斉にこの結果を報道し始めました。

判決後、このジャッジに納得がいかない様々な人たちがダウンタウンの警察署の前に集まって抗議の声を上げました。当初、この中には白人も参加していました。時間が経つにつれて徐々にデモへの参加者が増えていき次第に群衆と化していきました。込み上げてくる怒りを抑えきれずに暴徒と化した一団がシティホールやロサンゼルスタイムズのビルに投石をし始めました。

サウスセントラル地区では黒人たちの怒りが爆発してしまい71ストリートとノルマンディアベニューの交差する辺りでは、警察官と200人の暴徒たちが衝突。

午後6時半になるとフローレンスとノルマンディアベニューの交差点内で巨大な赤いトレーラーの運転席から金髪の白人男性が引きずり降ろされるや殴る蹴るの暴行を受けてしまうのですが、この模様は上空からの報道のテレビカメラがしっかりと撮影しており、この映像が以後のニュース番組でかなり頻繁に流されることになっていきます。

午後7時45分、サウスセントラルで放火による最初の火災が発生しました。暗くなるにつれて町中の暴力行為がどんどんエスカレートしていきロサンゼルス市内のあちらこちらから火の手が上がる事態へと拡がっていってしまったのです。

 

3.暴動、その後

韓国人の孫さんとの立ち話を終えて家に帰ると、時間は30日の午後2時を回っていました。依然として外からはパトカーのサイレン音とヘリコプターの飛行するけたたましい音がしていました。

その日は、それから深夜までずっとテレビを見続けるということになるのですが、先ほど買い物にいっていた自然食品のお店から車で2,3分の場所にある2階の住居の屋上にライフルを持った男が現れて乱射をしはじめたというニュースを聞いた時にはちょっとぞっとしました。

それからのテレビ放送はどの局もどの局も「ロドニー氏を殴打する警察官たちの映像」「サウスセントラル地区での白人ドライバーが引きずり降ろされて暴行を受けている映像」の2つをかなり頻繁に流しつつ、更に町中で繰り広げられているバイオレント色の強い映像をこれでもかという位の勢いで流し続けていました。暴徒たちがナショナルガードの兵士たちや警官隊と衝突して流血している姿、パトカーをひっくり返す怒りの群衆、倫理感を無くしてスーパーの商品や電気製品量販店から電化製品を略奪しまくる人々の姿などなどなど。

 つづく

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