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【人生ほど重いパンチはない】006:お笑いスターの巨星達・渥美清、萩本欽一、ビートたけしにも下積み時代はあったのです!

今、テレビを点けるとさまざまな事務所に所属する「お笑い芸人たち」が、日夜「お笑い番組」に出ては「うける・うけない」を厳しくジャッジされる世界でシノギを削っていますね。我々国民は、ほぼ毎日テレビでその様子を見て楽しませてもらっています。

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テレビに出られればいいけれども、そのテレビの番組に出たいがために「アルバイト」をしながらも「漫才」「コント」の練習をしてさまざまな「コンテスト」「大会」に出ては、いつか「優勝」して「売れる」ことを夢みて、日々、錬磨・研鑽しているわけです。それこそ「売れる」までに何十年もかかっている「お笑いコンビ」もいるわけです。

最近では「錦鯉」というコンビをよくテレビでみかけますが、聞くと彼らは北海道の出身で「タカアンドトシ」と同期であるとのこと。「タカアンドトシ」はかなり前からテレビで活躍していましたから「錦鯉」は本当に長く下積み生活をしていたという訳ですねぇ。それと今では誰もが知っている「サンドウィッチマン」。彼らも結成してからかなりの年月が経ち「M-1」で敗者復活から勝ち上がって優勝という快挙を達成した日からスターダムにのし上がった訳ですが、それこそ「苦節うん十年」という苦しい修行の日々を乗り越えての栄冠となっている訳です。

お笑い界の「ビック3」というと「たけし・タモリ・さんま」という時代がかなり長く続いていると思います。

この3人の前の時代にお笑いをテレビ画面を通じて「お茶の間」に届けていた大スターは誰かと言えば「欽ちゃん」こと「萩本欽一」さんでしょう。欽ちゃんのお笑いの主戦場は「テレビ」でした。

もう一人のお笑いの巨人は「男はつらいよ」の「寅さん」でお馴染みの「渥美清」さんであり、渥美さんの主戦場は「映画の銀幕」でした。

 

「渥美清、萩本欽一、ビートたけし」の 3人に共通していることと言えば、そう、3人とも『浅草』で修行した時期があるということ!」 

 

しかも、時代は違えども、浅草の演芸場である「東洋館(フランス座)」に3人ともいたということ。

 

渥美清

1951年から浅草で活動しはじめ1953年にフランス座へ。しかし、翌年1954年に体を壊してしまう。肺結核になってしまい右肺を切除することになります。その後の2年間は埼玉で療養生活を過ごします。退院後の1956年の秋、今度は胃腸を患い、また3ケ月間入院することに。年齢でいうと26才~28才までは病気との闘いの時期となってしまい「お笑いの活動」はまったく出来なくなってしまいます。この病気療養の時期を経験したことによりその後は体のことを思って徹底した「節制生活」をしていきます。そして1961年から1966年までNHKでオンエアされた「夢であいましょう」に出演することになり、その名は「全国区」となっていったのです。

 

萩本欽一

1959年、高校卒業後、浅草東洋劇場の研究生として活動を開始させる。決して「お笑いの申し子」的な研究生ではなかったらしく、ある演出家から「君は才能がないからやめた方がいい」と言われたこともあったようです。また実家が火事になってしまい、父親を手助けするために「お笑い」をやめようとした時に劇場関係者・先輩・仲間が「カンパ」を募ってくれて、仲間によって「お笑い」の世界に留まることが出来、その後は浅草フランス座でストリップの合間にコントをやり修行に精を出していきます。

そして、1966年に坂上二郎さんと「コント55号」を結成して、その後、日本中を「笑いの渦」にする超人気コンビとなりお笑いスターの仲間入りを果たすことになります。

 

ビートたけし

たけしさんが浅草で活動を開始したのは1972年の夏。芸人見習いとエレベーターボーイとして浅草フランス座で芸の修行をしていきます。この当時のたけしさんはフランス座の四畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていたそうです。1972年のたけしさんは25歳。そして、この後、きよしさんと「ツービート」を結成。B&Bの漫才に触発されて、彼らも「16ビート」のアップテンポの漫才のスタイルに変更したあたりから人気に火がつくと同時に80年代初頭に「漫才ブーム」が到来し「ツービート」の漫才の人気も うなぎ登りとなっていったのです。

 

 

3人は、時代こそ違いますが、東洋館/フランス座という「浅草の聖地」で「お笑いの修行」を積んで、その後は「浅草」を離れ「テレビ」「ラジオ」「映画」の世界で大活躍をしていきます。そして、日本国民全体に「笑い」を届ける領域にまで昇りつめていくことになるわけです。

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私自身、浅草からほど近い墨田区押上に30歳で結婚するまで暮らしていたということもあり「東洋館・フランス座」には何度も行ったことがあります。こういう言い方は大変失礼なのですが、舞台上の出演者の方々はテレビに出ていない方々がほとんどなので足しげく通わないと「誰が誰?」という状況に陥ると思います。でも舞台上で輝いている「面白い芸人さん」は、観に行く度に確実にいるのです。その「芸人さん」は世間一般の人たちには知られてはいないけれども「凄く面白いのです!」。つまりは「売れていない無名の芸人」の方々なのですが、面白いのです。あんなに面白いのだから「きっと有名になる」と思って心の中で応援する訳ですが、テレビに出るようになる人もいれば、面白いのにずっと無名のままの人もいる。

一人、演芸場を出て家に帰る道すがら「あんなに面白い芸人なのにどうして有名じゃないんだろう」と思いながらよく家に帰ったものですでももしかしたら、その芸人さん本人は、毎日・舞台に立てるということに自らの幸せを見出していたのかもしれません。だから売れないからといって勝手に「人生は重いなぁ」などと思うのは筋違いなのかもしれません。