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君は90年代の「パワーレンジャー」へのブーイングをみたか?!【再掲載84】              

君は90年代の「パワーレンジャー」へのブーイングをみたか?!

前回、サンタモニカで「となりのトトロ」を見たお話しをしましたが、見たのが1993年でしたから今からもうおよそ30年も前の事になってしまいます。あの時、一緒の映画館で観ていたあの幼かった6歳、4歳の姉妹も、今では35歳と33歳の大人の女性に成長している筈です。この位の御歳であればもう結婚して、もしかするとお子さんもいるかもしれませんよねぇ。彼女たちが幼い日々に観てとても楽しかった映画・アニメ・歌があったとしたら、それは自ずと自分の子供たちに「話して聞かせる」でしょうから、あの時観た「となりのトトロ」を「思い出の作品」として今・自分の子供たちに見せているかもしれませんね。そうだとしたら、とても感慨深いです。そう願います! 

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onlyuntilによるPixabayからの画像

さてさて、話しを続けていくために、またもや「時を戻しましょう。1990年代へ」! Here we go!

前回「となりのトトロ」のアメリカでの劇場公開時の配給は映画会社である「TOROMA Entertainment社」が行ったというお話しをしました。正直、サンタモニカの小さなスクリーンでの公開でしたので、劇場ビジネスで大儲けはしていないはずです。もし大ヒットの大儲けをした作品になっていたらアメリカでの劇場配給を行った「TOROMA Entertainment社」の知名度は一挙に上がって有名になっていたでしょう。実際にはそうはなっていません。しかしながら、この後のビデオリリースで「となりのトトロ」はアメリカでブレイクしました。ビデオリリースに関してはハンドルする担当する会社がトロマから20世紀フォックス社に代りました。そして、ビデオリリース前の現地での宣伝も結構目にしました。その効果があって、なんと60万本ものセールスを記録することになったのです。この時「トトロ」のビデオは売れるから強く宣伝しようと決断したアメリカの担当者はどなただったのでしょうか?確かに「トトロ」のビデオリリース前にはかなり広告を目にして「力が入っているなぁ。」と思いました。劇場であまり盛り上がり感を感じていなかったので、結果的に60万本ものビデオセールスを記録したわけですからその営業チームの頑張りは相当なものだったと思います。

この後、宮崎駿監督・ジブリ作品の認知度は格段と高まっていき、日本のアニメと言えばジブリということになっていきます。私はこのビデオ販売に力を入れた担当者こそアメリカにおけるジブリ人気を高めた最大の功労者ではなかったと思っています。この流れに乗って宮崎監督・ジブリのアニメ作品はアメリカ市場にも通用するコンテンツになっていったことは皆さんもご存じの通りです。私自身も93年から95年の3年4ケ月間のアメリカで生活しながら徐々に宮崎監督・ジブリのアニメがアメリカ人の中に浸透していくのを肌で感じていました。

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この90年前半にもう一つ日本の作品でありながらアメリカ中の子供を熱狂させた作品があったのですが、それが何だかお分かりになりますか?そうです、それは日本ではもうお馴染みの「スーパー戦隊もの、パワーレンジャー」です。

さてさてさて、日本の戦隊ものに興味を持ち、その作品をアメリカ市場に持っていき、アメリカで勝負しようと思ったのは一体誰なのでしょうか? 

ハイ、その考えを持った映画人が3人います。一人は今は亡きマーベル・プロダクション創業者であるスタン・リー氏です。彼は当時のマーベル・プロダクションの社長のマーガレット・ローシュ女史に東映特撮ものを薦めており、彼女もそれら日本製の特撮ものを気に入って英語吹き替え版を制作してアメリカのテレビ局に売り込みをかけました。しかし残念ながら興味をもってくれるテレビ局は現れませんでした。

もう一人、この特撮に興味を持つ人物が現われます。それがサバン・プロダクションハイム・サバン氏です。彼は1984年か85年に日本を訪れます。そして、その際に東映の特撮戦隊ものを目にします。そして、アニメではない子供向けの特撮ものということでとても興味をもつのです。そして彼は「超電子バイオマン」の放映権を購入して英語吹き替え版にして放送しようと考えますが、仲間からは「出演者全員が日本人の番組をアメリカの子供たちが見るわけがない。」と反対にあいます。それならばとバイオマンに変身する前の部分をアメリカ人の役者たちにして戦闘シーンだけを東映から供給されるシーンにした合成バージョンを作成して子供用特撮もののフォーマットにすることにしたのです。そして、テレビ局への「売り込み用パイロット版」を制作しました。

するとこの作品の放送に興味を示す人物が現われます。当時、20世紀フォックス社が子供向け専門放送局である「FOXキッズ」というチャンネルを立ち上げていました。そして、このチャンネルに転職していたのが先程、登場していた女性、マーガレット・ローシュ女史なのです。かつて自分でセールス活動をしていた経験のある日本の子供向け戦隊ものを、今度は自分が紹介を受けて放送するかどうかを決める立場になっていたのです。

彼女のところに、ハイム・サバン氏からアメリカ人キャストによるハイブリッド版となった戦隊ものの話しが持ち込まれます。もともと日本の戦隊ものに可能性を感じていたマーガット・ローシュ女史ですから話しが進まない訳がありません。

こうして「超電子バイオマン」が放送されることが決定したのですが、サバン氏が製作したパイロット版に登場していた役者たちが揃わないという事態がおこり、ならばいっそ、まったく新しいものを一から作り直そうということになり、サバン氏は日本の東映にやってきて「アメリカ人の役者パートと東映が撮影するヒーローの登場シーン」を繋ぎ合わせてまったく新しい作品にしてアメリカで放送したいので全面的に協力してほしいとお願いしたのです。最初、あまり乗り気でなかった東映サイドもサバン氏が提案する作品の展開計画と彼自身が戦隊ものの主題歌を歌うほどの熱心さにほだされて?彼に協力することになったのです。そして、1993年になってようやく「FOX KIDS」で「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」の放送が始まったのです。アメリカの子供番組では今までなかった「5人が力を合わせて戦う実写の子ども」向けの作品は放送前は、子供たちに受け入れられるのだろうかと心配されたのですが、始まってみると社会現象になるほどの人気ぶりとなりました。最初は40話で終了だった予定が60話まで製作が延長されたのです。クリスマスのおもちゃ商戦では「パワーレンジャー」のおもちゃがもの凄い勢いで売れていったのです。品切れが続出して、世のお父さんたちは「おもちゃ」を求めてロサンゼルス中を右往左往する時期が続いたのです。

この「パワーレンジャー」という作品は、勢いが止まらず、ついに20世紀FOX社とサバン・エンターテイメントは映画版の製作を決定したのです。私が覚えているのは、別のアメリカ映画を観に行った時に、映画が始まる前の予告編が流れる時間の際にこの「パワーレンジャー」の映画の予告編が流れたのですが、こどもたちは期待と興奮で、その予告編を凄く喜んでヤンヤヤンヤといった感じで観ているのですが、劇場中の彼らの親たちから「BOO,BOO,ブー、ブー」というブーイングの嵐が起こりました。親からするとこの日本の原作作品のせいで「おもちゃを買ってよ~」と子供たちから せがまれることが多くなり「何んとも迷惑な作品だよ~」という心の叫びが「ブーイング」を引き起こしていたのです。 

前回と今回、お話ししてきたように「パワーレンジャー」しかり「となりのトトロ」しかり、どちらもアメリカ人が日本に面白い作品があり、これはアメリカでも受けるに違いないという思いから、それを貫き通して、アメリカでブレイクさせるまで頑張ったということになる訳です。日本人の私として日本側から必死に売り込んだ上での成功ではなかったということが何だか残念でなりません。

「となりのトトロ」と「パワーレンジャー」という元々は日本の作品であり、それがどのようにアメリカ・ロサンゼルスで扱われて、どのように現地の人たちに受け入れられていったのか?その様子を現地で肌で感じて真近でその模様を見ることが出来たことは、エンタテイメント業界で働いてきた私にとってはとても得難い経験になりました。古いことわざかもしれませんが「ローマは一日にしてならず」ですね。

まず種を植える土・土壌は肥沃でなければなりません。植えた種は、誰かがしっかりと育てなければなりません。実がなるまでには時間がかかります。そうなんです、すぐに実はならないんです。でも実られせるという強い思いも大切。そして、刈り取る。

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