一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 030 ロサンゼルス地震(つづき) 

9. 変な夢とロサンゼルス大地震 (つづき)

 下から上がってきた若者から「下で火事が起きているような気配はないよ。」という情報が聞けてホッとしましたが、その間、何度も何度も余震があり、その都度、また大きな揺れが来るのではないかとびくびくしていました。ほどなくして漸く日の出の時間が来て、朝日が照りだし、町が白じんできました。闇が去るだけでかなり気持ちが明るくなってきました。町が一体どうなっているのか、テレビが見られない状態なので皆目分りませんでした。しばらくすると、停電で繋がらないとばかり思っていたリビングの電話が不意に鳴りだしました。出てみると、それは東京の実家から我々の安否を気遣ってのものでした。この冬の時期は日本の方が17時間先に行っていますので、日本は1月17日の夜の10時を過ぎていることになります。 

日本のテレビではロサンゼルスでの地震のことが緊急ニュース速報として既に報道されているとの事でした。「私たちは二人とも無事なので心配しないように。」と言って電話を切ったのですが、ほぼリアルタイムで情報が伝達されていることに妙に感心してしまいました。 

日が昇り、朝日が部屋に差し込み始めると地震による部屋のダメージが思っていたよりもひどいことが分かりました。すべての部屋の壁に下から天井に向かって亀裂が走り、その壁の崩れ落ちた破片が床の上に散乱し、風呂場の浴槽の中にも天井から剥がれた塗装の破片がたくさん落ちていました。キッチンの床の上の状態は先ほどお伝えしましたが、多くの皿が割れているのに加えて家内の一番のお気に入りのミルクピッチャーも物の見事に割れていて、彼女は残念そうに床に飛び散っている破片を片付けていました。リビングに置いてあった2メートルほどある柄の高いライトの電気スタンドは横倒しになっているし、今まで立っていたもの、立てかけていたものはすべて倒れているというその凄まじさに改めて驚きました。余震が続いていました。こういった不安定な状態がこれからしばらくは続いていくのだろうなぁと覚悟することにして、まずは割れて床に散らかっているものを取り合えず片付けることにしました。軽く片付けた後は、暴動の時と同様に不測の事態に備えてスーパーに買い物に行っておくべきだということになりました。

午前9時50分、買い物のために家からエレベーターホールに出てみるとかなりダイナミックな亀裂が壁に走っていました。エレベーターは停電で動いていないので裏の非常階段を使い下まで降りていきました。

駐車場から車を出して暴動の時に唯一営業をしていたスーパーマーケットにまた行ってみようということになりました。暴動の時と同様に全ての信号が消えており道路上の車はみな普段よりかなりスピードを落として走行していました。そのお店に着く前に考えれば分かることだったのですが、このお店自体も地震の被害にあっている訳で、陳列してあったお店の商品のほとんどが棚から落ちて、ビン類などは全て割れて中身が床に飛び散っていました。見るとお店のスタッフがバケツの中にガラスの破片を集めていて、一方、モップで一生懸命に床を拭いていました。ですからこのお店は中に入れる状態ではなかったので、他のスーパーに行くことにしました。普段であればスーパーで買い物をすることなど極々普通でスムーズなことなのに、この日のスーパー探しは暴動以来の難しさでした。

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 上の写真は通常時のロスの模様であり地震直後のものではありません。Nimue SlotにとるPixabayからの画像

やっと見つけたのはビバリーブールバードとドヘニー ドライブ通りの交差する角にあるヒルズというスーパーでした。しかしながら、入り口では入場制限がなされており、既に店の前には長蛇の列ができており、お店の中に入るにはこの長い列に並んで待つしかなさそうでした。仕方なく我々も最後尾に並ぶことにしました。

待つこと、およそ1時間。ようやく店の中に入れたのですがこのスーパーマーケットの前で待っている1時間の間にも体に感じる余震が何回もあり、その都度、並んでいる人たちの間から「お~!」 と言う大きな声とも、ため息ともつかない声が上がっていました。

とにかくスーパーに入れて必要な食材、飲み物、トイレットペーパー、ティッシュなどとりあえず不足がちな生活用品を一通り何とか買い込むことができました。

家に帰るとパークラブレア内の復旧作業は迅速で、すでに電気も通っておりテレビが見られる状態に戻っていました。スイッチを入れると各局こぞって地震によるダメージの様子を伝えていました。震源地はノースリッジというロスの北にある町でマグニチュードは6.6。ただ震源がとても浅いところで起こったが為に震源地に近い地域での被害は物凄く、瓦礫と化した家が画面に映し出されていて、家を失った大勢の人達がパジャマ姿のまま沈痛な面持ちで悲嘆に暮れていました。フリーウェイが落ちてしまい通行が出来なくなっている場所も一カ所や二カ所ではすまない様子でした。

その後は余震が続く中、夜までテレビをつけて被害の状況を見続けていました。死者の数は57名。負傷者及び家を失ってしまった人はそれぞれおよそ1000人を超えているとの発表でした。震源地に近い病院は負傷者で溢れており、フリーウェイもサンタモニカフリーウェイ、ゴールデンステートフリーウェイなどがものの見事に破壊されていて復旧にはかなりの時間が要し、ロス市内の交通はしばし麻痺状態が続くことになりそうだと報道されていました。

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地震発生から一か月後にLos Angeles Timesのスタッフにより発行された特集本の表紙です。写真に写っているのはマジックマウンテン近くのゴールデンステートフリーウェイです。Photo by Michael Edwards

被害総額も1949年のサンフランシスコ大地震時のおよそ4.3倍の30ミリオンドル(200ミリオンと報告している資料もある)にまで達するだろうとのことでした。

ノースリッジのメドーというアパートでは16名が亡くなられており、そのほとんどがアパートの一階部分に暮らしていた方々で上の階が落ちてきて押しつぶされてしまっての圧死でした。

ある青年が自分の祖母の安否を気遣い、祖母が使っていたアパートの部屋の中に入ってみると祖母の姿はおろか彼女の使っていた家具すら見つけることが出来ず、実は彼女の部屋は自分の足元の下深く潰されてしまっていることに気づき呆然としてしまったケースもあったようです。

このような話を聞くと自分は家の中にヒビ(クラック、cracks) は入ってはいるものの寝るベッドはあるし、食事をすることも出来る訳で生き延びられていることを素直に感謝しました

この地震の後、私たちの生活に支障が出て困ったことがありました。これはLAで車通勤をしている人達全員が仕事にいくのに難儀を迫られることになりました。家の近くに南北に走っているフェアファックス(FAIRFAX )という通りがあるのですが、地震の前は普通にフリーウェイの下を通り抜けてすいすいと向こう側に行けていたのですが、地震でフリーウェイがずどんと一部大きく落ちてしまい道路を思いっきり塞いでしまったのです。またフリーウェイ自体が落ちてしまっているのでLAを東西に移動する手段が使えなくなってしまったのです。

つづく