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【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 031 LA地震からの復興 

9. 変な夢とロサンゼルス大地震 (復興)

 

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上の写真は通常時のフリーウェイの模様であり地震発生時のものではありまん。

Maxx GirrによるPixabayからの画像

そういった中でも生活を再開していくことになる訳なのですが、サンタモニカフリーウェイ は西は海岸線のサンタモニカからロサンゼルスの中心を通り東側のダウンタウンに向けてロサンゼルスを横切る形のフリーウェイです。例えばダウンタウン方面に家がありそちらで暮らしている人が会社のあるサンタモニカに行く場合、毎日このサンタモニカフリーウェイを使って通勤しているわけです。それが途中のフェアファクスで陥没している為、普通に走れない状態となってしまったのです。よって、その一つ手前の出口で降りて、迂回をしてわざわざフェアファックスの次のフリーウェイの乗り口まで行って、そこからまたフリーウェイに乗り直すのです。そして、サンタモニカを目指さなくてはならないという何とも面倒なことになってしまったのです。

従って、地震後に始まった市民の生活では、当然の如くなのですが、通勤時あるいは帰宅時にフリーウェイを降りては迂回をする車が多すぎて道路に溢れてしまい大渋滞となってしまったわけです。

ですからフリーウェイが復旧されるまでは、その近辺ばかりかロサンゼルス中の交通が全てが麻痺してしまい、どこへ行くにも今までの2倍から3倍も時間がかかるという日々が続くことになってしまいました。

また、建物やショーウィンドウなどは、かなりのダメージで町の至るところで窓ガラスが割れており、崩れる可能性のある建物の回りには立ち入り禁止のカラーコーンやらロープが数多く張りめぐらされていました。元通りになるまではかなりの時間がかかることを覚悟せざるをえない。そんな状況が町のあちらこちらからひしひしと伝わってきました。

地震から少し日が経った頃、誰が言い出したのか「 ギャングたちの動きが再び活発化して、また暴動が起こるぞ!」とか「年内にまた物凄い地震がやってくるぞ!」などという噂が真しやかに聞こえてきました。でも、結局はどちらとも根も葉もないデマでした。

ロサンゼルス市民達はその後、私も含めてですが、交通が完全に麻痺しているためにスムーズに移動が出来ず、仕事にも支障が出てしまい、イライラが募る一方でした。そんな中、更にやる気を削ぐ報道が聞こえてきました。「フェアファックスとラ・シエネガ間に落ちてしまったフリーウェイの復旧作業にはおよそ一年近くはかかるだろう。」というのです。

テレビでこの報道を聞いた時、ロサンゼルス市民は全員「そんなに長くかかるのか。」と皆一様に落胆していました 。考えてもみてください。1年もの間、朝と夕方の通勤・帰宅時にフリーウェイを一旦降りて、下の道を迂回して、長蛇の列に並んで、また乗り直すということを続けるんですから・・。もううんざりという気にもなります。

でも、確かに陥没したフリーウェイ近くにいくと、見事なまでにフリーウェイが本当にゴジラにでも踏みつぶされたかのようになっていて、ちょっとやそっとで元通りにはならないことは誰が見ても一目瞭然でした。ですからLA市民は、やり場のないイライラを抱えて時を過ごさざるをえなかったのです。

はっきりとは覚えていないのですが、地震から10日位してからでしょうか、陥没したフリーウェイの辺りに建設関係の人たちが集まりだし「立ち入り禁止」のバリケードが置かれはじめました。いよいよ復旧のための作業が始ろうとしていました。私などは「今から復旧まで1年間かかるのか。」と観念して、この生活に慣れることを考え始めていました。アメリカに来てアメリカ人の仕事の仕方をみてきて、日本人と違うと感じたのは、特にお役所での仕事ぶりでした。例えばお昼の時間がきたら労働者の権利として窓口の担当者はどんなに混んでいても窓口を閉めて休憩に入ります。労働者の権利な訳であり、それを実行するのがアメリカンウェイなのだと思いました。日本の場合は、混在しすぎの場合は窓口は閉めずに開けるという融通さがありましたが・・・。従って、復旧まで1年かかるのも仕方がないなぁと諦めていたのです。

しかししかし。実際はそうではありませんでした。復旧に向けて動きだした建設関係のスタッフたちの底力は私の想像を優に越えていました。まずこの修復の工事現場にどこから持ち込んだのか、もしかしたら映画の撮影用のものだったのかもしれませんが、直径が2メートルから3メートルはある日本ではお目にかかったことのない巨大な円形のライトが一台や二台ではなく数多く運びこまれていて、夜になるとそれらに一斉にスイッチが入り、まるで昼間と同じ明るさになったのです。そして、数多くの、恐らく何百もの屈強な男たちが3交代制なのか4交代制だったのか、とにかく24時間・昼夜ぶっ通しでの復旧作業がもの凄い勢いでスタートしたのです。連日連夜のフル稼働で復旧作業に取り組む男たちの姿は本当に凄まじかった。私のような素人目にも『これは凄い!!』とその工事の進め方、作業ぶりを目の当たりにした時、腕に鳥肌が立ちました。このペースであれば一年なんかかからないと思いました。

とは言え、復旧までの間、フリーウェイを一旦降りることに慣れ始めていて「ゆっくり走る派」と「下の道の空いているコースで出来るだけ早く走る派」に分かれていくようになりました。

ある日の午後3時頃、カルバーシティという町から自分のオフィスに戻ろうと普通に下の道を運転していた時、まっすぐな一本道が急に渋滞になり、車が前に進まなくなりました。前の車のドライバーたちも「どうして進まないんだ?」とイライラしはじめているのが分かったのですが、そんな時。

みんなが右の上空を眺めだしているのに気がつきました。中には車から降りて上空を見上げている人も現れました。アメリカの車は左ハンドルなので、右の上空が見づらいのです。私は「どうした、なんだろう?」と左の車窓から出来るだけ頭を出して見上げてみました。するとそこには大きくて色鮮やかな虹があったのです。ロサンゼルスに来て初めて見る虹でした。いつも通り普通に運転していたらこの虹には気づかなかったかもしれません。人生で「流れ星」と「虹」はそう見られる機会はないですからね。見たいと思っても見られないし・・。うまく言えませんが「棚からぼた餅」のような気分でした。

さてさて、アフターアースクエイクの生活に慣れてきた4月だったか、地震から3カ月が経つと色々なところで復興がなされてきていた訳なのですが、驚くなかれです。

当初一年間、早くても半年以上はかかると言われていた例のフリーウェイの復旧作業が僅か3ケ月で完成するということが伝わってきたのです。これほど早く復旧が叶うとは!正直、驚きでした。この復旧作業が完全に終了して「立ち入り禁止」のバリケードやテープが全て取られてフリーウェイが見事に再開通を果たすことを伝えるニュースを見た時、

アメリカ人が持つその底力

に圧倒される思いを再認識したのでした。全LA市民が歓喜して「この短い期間でよくぞやり遂げてくれた」と昼夜関係なく働き続けてくれた工事関係者全員に感謝していたに違いない瞬間でした。

【LA地震の巻はここで完】  体験記はさらに続いていきます!