一流人じゃなくても夢は叶えられる!

英語を学び、映画を見まくったことで夢は叶えられた!

【英語/映画/旅行が好きな方向け】ロサンゼルス駐在生活体験記 049 ニューヨークを嫌いになった訳②             

6.ニューヨークを嫌いになった訳 その②

以下は1993年の夏に我々夫婦が夏休み休暇の際にロスからニューヨークを訪れた時の話しであり、体験記048からの続きになります。

ただ昼間にワールド・トレード・センターでイヤな気持ちを味わっていたので、とにかく早く寝てしまおうと思い、夕飯を済ませて、シャワーを浴びて、早々に床につきました。そして、電気を消して二人してそれぞれシングルベッドに横たわりました。外からは車の走る音や人の話し声が聞こえてきており、街頭から入る光を極力なくそうとカーテンを引いて眠りにつきました。完全な暗室ではなくてカーテンの隙間から本当にほんの少しだけ明かりがぼやっと部屋にある位の中で眠りにつきました。二人してもう瞬く間に深い眠りに入ってしまいました。

 し~んと静まり返っている我々が寝ている真夜中のホテルの一室。私はどういう訳だか目が覚めました。おそらくですが、深夜3時位だったのではないかと思います。別にトイレに行きたくなったわけではありませんでした。隣のベッドでは家内がしっかりと寝ているのが分かりました。私は目が覚めたというよりは、真っ暗な部屋のベッドの上で目も開けずにうとうとと半分寝て半分起きているような状態にいました。ベッドでうとうととしながらも、何となくですが変なのです。何んとなくですが、誰かの、いや何者がいる気配がするのです。部屋の鍵は寝る前にしっかりと締まっていることは確認したし、カーテンも閉まっているし、カーテンから漏れている光も薄暗いですし。まさか誰かが侵入してきていて金目のものを物色しているのか?そうだとしたら泥棒じゃないか。それにここはニューヨークなのだがら相手は銃を持っているかもしれない。下手に起きていることが分かったら撃たれてしまうかもしれない。寝ながらもそう思った私は極力寝ているふりをし続ける事にしました。

目をつぶり寝ているふりをしながらも暗い部屋の中の様子を静かにじぃっと窺いました。何者かの気配がするのです。何んと表現したらいいのでしょうか。何か風の、いや空気の塊のようなものが移動しているように思えるのです。なので明らかに人が静かに音を立てずに歩いているのとは違うのです。

もしかすると建物が古いからネズミなのかとも思ったのです。そうだ、きっとネズミだ、そうだ、そうだ。幼い頃、それこそ昭和30年代の東京の下町の古い家にはネズミが出たていたよ。そうか、そうだネズミだよ、きっと。そうに違いないと、自分としてはこの何者かの気配を、もう無理やりにでもネズミのせいにしてしまおうと思ったのですが、そう思えないことがついに起こってしまったのです。私はベッドの上にあおむけに寝ていました。そして、右足がシーツからペロンと出ており、大股状態ではないものの、足のふくろはぎは上を向けて露出している状態で寝ていたのです。

私はあいも変わらずに寝たふりを続けていました。絶対に目は開けてはいけないと思いつつ。暗い部屋の中で、その静止の状態はどの位続いたでしょうか。もう何も起こらないと思い、何だか眠りに落ちそうになっていた次の瞬間です。それは起こりました。「露出していた右足のふくろはぎ」をその何者かが撫でてきたのです。まるで本当に寝ているのかどうかを確かめるかのように。

私は心の中で「うわ~、何かに触られいるううう~。」「目を閉じていろ~。何者かと目を合わせると大変なことになると聞いたことがある。目だけは合わせちゃだめだ。」と思いながら、必死に、何も反応を示さず、体も動かさずにただただ寝ているふりを貫き通しました。普通、人が触ったのであればベットとベッドの間に人の体の気配というか、質感が否が応でも感じられる筈ですが、そのベットの間の空間には何もいないのが分かるのです。それなのに手とも空気ともつかない、なにかが私の右足をスゥ~っと触ったのです。

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上のあくまでもイメージ図であるとご認識ください。Jorg PrieserによるPixabayからの画像

家内の手や足が当たったとは考えられないのか?とも思ったのですが、それぞれが寝ているシングルベッドの間は少なくとも60センチは離れていたはずなので、いくら何でも家内の足や手でないことは確実です。

そうだ「う~んとか言いながら寝返りをうって表に出ている足をシーツの中にしまってしまおう。」と思い、その通りにして顔も枕に埋もれるような向きにしました。ただただ「寝ているのだぞ、俺は。」という姿勢だけは崩さずに。もう心の中と心臓はドキドキでいっぱいなのです。だから顔は寝ていても心臓の動きを悟られるのではないかと冷や冷やしていました。

そうこうしているうちに、昼間の疲れのおかげと「もうなるようになるさ」と開き直ったのがよかったのか、その後、何んとか自然に眠りに落ちることが出来たのです。

次に目を覚ますと完全に朝になっていました。カーテンを開けて日の光を入れて部屋の中を見回しても寝る前とまったく同じでした。特にこれといって変わったところは見当たりませんでした。家内は何事もなかったように普通に「おはよう」と言っているし、私の足は何んともなっていないし。では、あの時私の右足を撫でてきたものは一体何だったのでしょうか?皆目、わかりません。夢でないことだけは確かです。

ニューヨークが世界の大都市であり素敵な町であることは重々分かっています。でもこの2つの出来事があってから、どうしても「ニューヨーク」にまた行きたいという気になれなくなってしまったのです。

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Don Jamon63によるPixabayからの画像

さてさて、話し変わって、今度はニューヨークで感じた「暗闇」の件について話をさせてください。2日目の晩御飯は上の写真の景色が見えるレストランで食事が出来るということでオプショナルツアーに参加しました。ただ、そこに行く際に我々を乗せたバスが通った倉庫街が何んとも実に暗かった。よくまぁこんな暗い道を日本人の観光客ばかり乗せたバスを走らせるものだと思いました。前にも書きましたが、やはり日本の町の闇とアメリカの町の闇は、その濃さがどうも違うのです。日本の夜の暗さは「闇」なのですが、アメリカになると、その暗さは「暗闇」になるのです。

日本に帰ってきてからある友人と話しをした時のことですが、彼も数年間ロサンゼルスにいた経験があって二人してアメリカの「暗闇」について話しをしたことがあります。そして、二人してあの「暗闇の深さ」をうまく描いている映画があると言って同じ作品をイメージしていたことがあって驚いたとがあります。その二人の意見が合った作品というのはエミリオ・エステべス主演の「ジャッジメントナイト」(93年度)という作品でした。この映画の舞台はニューヨークではなく、シカゴであり、アメリカではそれなりのヒット作となっています。しかしながら、日本ではあまり知られていない作品のように思います。やはり「バットマン」同様、この作品もアメリカと日本の「暗闇」への肌感覚の違いが作品の価値自体も変えてしまったのだなぁを思っています。お時間ある方は是非「ジャッジメントナイト」ご覧になってみてください。

つづく ※次回はフィラデルフィアについて書かせて頂きます。